太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

現実(現津(あきつ)、観察され得る事象)に於ける“上”と“下” 霊的成長度の低い心とその息吹に感応する悪霊“その一”

ご存じのようにアタシ自身は47年余り鍼灸治療を行ってきております。 

そこで当院のホームページには

「自分の仕事、それは、自分が今までに獲得した、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現であり、よってこのホームページは、(互いに霊的成長するための、貴い認識を共有するための)人の縁は、求めていますが、(金儲けのための)集客だけが目的のものではありません」

ということわりを述べておりますが、実際には

「(互いに霊的成長するための、貴い認識を共有するための)人の縁」

こういった方に遭遇するのはごく少数でしかなく、大概の方はアタシの治療に対し、ただ体が楽になればよい、そのために金を払って治療を受けるのだ、という認識でしかないし、様々な話をして霊的成長に関わることを説明してもただの世間話にしか聞こえず聞き流して自分の振舞い方や在り方に生かすということを考えたりもしないものである。

 またこの「ただ体が楽になればよい、そのために金を払って……」という方々は、自分が生きていることに対してのしっかりとした認識を持っていない場合が多々ある。 今回はその一例を挙げることとします。

 

 自分の体の問題、例えば心臓病や糖尿病、腎臓疾患、肝臓疾患、などの場合、健康になっていくためにはさまざまな制限が派生します。

 ところがそれができない、いやがる、そしてその制限を自分に課すことができない人が多い。

その人たちの言い分としては、

「自分が自分の好きなように生きて何が悪いか、どうせ死ぬのだから自分が自分の好きなことをやって何が悪いか、だから飲酒もたばこも食事制限もしたくないのだ」

こういったことを述べられるものである。

 こういった方々に「自分を立派にするのは自分である、自分をだめにするのも自分である」という自己責任という意味合いを含んだことを述べても、無視するものであり、さらに上記の言い分、

“自分が自分の好きなように生きて何が悪いか、どうせ死ぬのだから自分が自分の好きなことをやって何が悪いか”

こういったことを述べるのはご本人の自我が脆弱であり、自我が脆弱であるがゆえに、自分の生き方における在り方を見出す、自分に制限を課す、ということが出来ないのであり、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)由来の欲望による

“飲酒もたばこも食事制限もしたくない”

ということを述べられる。

 

 この心(靈)の動きには、どういった霊的干渉があるのか。 

それは、ご本人の自我が脆弱であるがゆえに、同じように自我が育っていない子供の浮遊霊との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がある。 

 

著書で述べたように、たった今数秒に一人子供が飢餓貧困で死んでおり、地球上にはたくさんの子供の浮遊霊が存在している。 そして子供の浮遊霊は大人の体験がないから、大人でないとできない飲酒やたばこの経験をしたがるものであり、また飢餓で死んでいることから食うことに執着するものである。 

こういった存在との感応共振によることとして、自分がどう生きるべきか、どう振舞うのが自分にとって正しいことなのか、という智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)由来の心(靈)の動きができないようになり、智性由来の心(靈)の動きができないと“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応にならず、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応中心となる。

 

そして「智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)由来の心(靈)の動きができない」こと自体が、ご本人の霊的成長度が低いのであり、その低さゆえに“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)と“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)になっている。 

この感応共振と“気血栄衛(營)”がその人の人生の大半であり、結果その人の人生では、子供の浮遊霊程度の心(靈)の段階から大して“上”に向かっていないということになっているものである。

 

またこういった霊的成長度の方々は「自分が死んだあとは何もないのだ」と思い込んでいる人が多く、自分たちの心(靈)が永遠の存在であり永遠に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくことなど考えたこともないものであるがゆえに、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)由来の欲望に対し刹那的に生きているものである。

 

そして今回取り上げている方々は、ローム太霊講話集の第二十一話の、

親が勝手に産んだのだから俺は仕方なしに生きて勝手なことをするのだという、動物的なあたまの持主

これに相当する心(靈)であることを指摘させてもらい、この段階の心(靈)は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の、低い部分の取り込みでしかなく、その振動の取り込み事態が動物と同程度であることを述べておきます。