太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

現実(現津(あきつ)、観察され得る事象)に於ける“上”と“下” 太陽凝視の意義

 

 先回

「霊的成長度の低い者は、低いものの見方(低い“観察と認識”)しかできない、それゆえに太陽凝視に対し、“ほんとう”の価値を見出せない、また見出そうともしない」

という指摘をしました。

 

 これは、言い方を変えるなら、太陽凝視の本来の意味と意義を理解し得る資質を持っていない、また、解り得ないがゆえに、自分たちの低い価値観に於いて、太陽凝視そのものを低いものとしてしまっているのだ、ということになります。

 

 この「太陽凝視そのものを低いものとしてしまっている」という現状があるがゆえに、先回述べた通り太陽凝視に対して甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見てしまうものであり、先回引用した“日月神示”春の巻 第二帖の

“特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。九分通りしくじるのぢゃ。太陽の光集めること知っているであらうが”

これの“九分通りしくじる”というのが、先回指摘させてもらった方々を含め、今、太陽凝視を行っているすべての人間の現状であると言い得ます。 

 

 ならばこれで述べられている

“太陽の光集めること知っているであらうが” そして “特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ”

これが春の巻 第二帖の冒頭の

“カミヒトと申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ”

この文言にかかっている。 

 そこでこれら文言は何を伝えようとしているのか、これについては最近“続”で解釈を行った、紫光会の経文、四空経録の西霊大眞如太神の引用が理解しやすいので、引用をしていきます。

 まず

“カミヒトと申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ”

これについては “その十八” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1871.html

忿怒無策 晴天実策 諸霊援護 満歩無害 宴曲来舞 一奇満得 巨民救難

この文言の解釈を参照され

“太陽の光集めること知っているであらうが” そして “特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ”

これについては “その八” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1851.html

普積一仏

“その十四” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1863.html

普現実功 差別有無 力利格的 石様天門 奇仙法立 関登砥身 剥気積在 白雲足下 神力縦横 応答有波

“その十六” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1867.html

炁塔確立

“その十八” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1871.html

炁光満心

これら文言を参照され、ことに 炁塔確立 そして 炁光満心 というのが、西霊大眞如太神の総括 http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1873.html

で述べた通り

「実際にある者が“行”やっていかねば、こういった価値のある文言を人間には教えることをしない、という“上”の決まりのようなものがあるに決まっている」

という非常に重大なことを、たった今、太陽凝視を少しでも行っている方々に知ってもらい、太陽凝視の意義を解って貰いたい、また“日月神示”春の巻 第二帖の

“カミヒトと申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことである”

これが、四空経録 西霊大眞如太神の 巨民救難 これに相当することをも理解して貰いたいものですし、これが、たった今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によって“創造”されている現実、“世”、事象、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化に満ちている現状を、今後=アセンション後に移行し得るそれに変えていくためのことである、ということをも付け加えておきます。

 さらに、“その十六” http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1867.html

ここで引用した、昭和五十四年十二月十七日のローム霊訓講話で太霊が述べた

即ち神自身である

こうなることが、太陽凝視の目的である、ということを厳に述べ、この“総括編”を終えることとさせてもらいます。

 

 ご高覧いただきありがとうございました。