2023-01-01から1年間の記事一覧
先回 「霊的成長度の低い者は、低いものの見方(低い“観察と認識”)しかできない、それゆえに太陽凝視に対し、“ほんとう”の価値を見出せない、また見出そうともしない」 という指摘をしました。 これは、言い方を変えるなら、太陽凝視の本来の意味と意義を理…
先回は、智性(神性)の獲得をするための人生、これに於いて、ということを念頭に、その人生に於いて自分はどう在るべきなのかを述べました。 そこで、このブログを読んでおられる方々は、多少なりとも太陽凝視のことを知っておられる、あるいはある程度実践…
先回、“神の采配”として“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課す試練、これに自分がどう向き合うのか。 またそれに於いて“自分を観察する自分の確立”(自らの智性(神性)で自分の心(靈)と肉体を観て、そこにおいて自分の心(靈)の“上”と“下”…
先回の「生業(なりわい)中心の人生」これについて 「低い霊的干渉が中心であるなら、その者の人生はたいして霊的成長、智性(神性)の獲得と強化ということはほとんど無く」 ということを述べました。 そこでこの文章を読んでいただいている方々には、たっ…
先回の文末の 生業(なりわい)に於ける霊的干渉であるから、その者の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に関わる高い霊的干渉というのは無いであろうことが言え、生業(なりわい)の中で“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を発揮して…
たびたび新年のあいさつに於いて、“神烈しく(はげしく)”という“日月神示”の文言を引用しております。 この“神烈しく(はげしく)”の意味合いは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の降り注ぎが盛んになる。 これ自体がまた、“創造”の“主…