新年明けましておめでとうございます。
昨年、“続”で解釈を行いました“日月神示”黄金の巻 第五十九帖
http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1493.html
これに以下の文言がありました。
“金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ”
この文言に対し以下のように解釈をしました。
「(通貨としての)金に対する依存や執着は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であるがゆえであり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした宇宙人の世界では通貨制度そのものが消失している、たった今の大半の地球人が(通貨としての)金がないと生活できない、また金は権力の象徴である、などと思いがちであるが、今後=アセンション後は通貨制度の無い“世”となり、そこには“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”はいないから、自分の利益のために“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を行使する者はおらず、自分とその他万人のために“力”を行使する者だけになるのであるから、(通貨としての)金で物をやり取りするとか、権力を示すとかは消失するのが当然である」
もう一つ “日月神示”黄金の巻 第七十二帖
http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/blog-entry-1507.html
“どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか”
この文言に対し以下のように解釈しました。
「これの“めぐりある金”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きを行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に表して得た(通貨としての)金であり、これに関連する霊的干渉は恨みの連鎖の霊的干渉の現象化につながる、それを“めぐりある金はめぐりそのものと判らんか”と述べているものである」
上記引用の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”というのは、自分の利益、損得、そして本能的な快楽、これを求める心(靈)が中心、いわゆる目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)である。
そしてこういった心(靈)しか持ちえない人間が努力して“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を獲得し、それを行使して(通貨としての)金を集め、自分たちの低い欲望を満たす、その結果として経済が繁栄し、経済の繁栄が基盤となっている社会機構が、たった今、成り立っているのですが、これが“めぐりある金”、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化を引き起こしており、この「恨みの連鎖の霊的干渉の現象化」が台頭している今の“世”は、“金で世を治めて”の過程ではあるが、その後“金で潰して”という結果になるものである。
よって先に引用した文言、それは、たった今の経済に依存した社会機構、これの崩壊を示す文言でもあり、必ずその通りになっていくものであり、これ自体がすべての地球人に対する“神の咎め”(自省させて進化(霊的成長)の方向性を示す)である。
またこれは、今後=アセンション後に移行する際に於いて、自分たちの心(靈)の在り方、自分たちの振る舞い方、これを変えていくためにどうしても体験していかねばならないことでもある。
その過程に於いて、霊的成長度の低い者、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)、これを自分で諌めることが出来ない智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が足らない者は、次の段階に移行しえない。
そこで、自分の人生に於いて自省(胸の磁性“十”)の“行”が出来ている、自分の在り方、振舞い方を考えうる智性(神性)を持つ、また、今の“世”はおかしいのではないか、と思う方々は、次の段階に移行しうる素地が多少なりともあるものである。
これらのことをアタシの文章から読み取っていただき、一人でも多く「次の段階に移行しうる素地」をご自身の認識(悟り、幸取=さとり)としていただきたい。
本年もこれを念頭に於いて、文章作成を中心とした活動を行っていきます。 よろしくお願いします。
児玉登