太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

新年 明けましておめでとうございます  本年もよろしくお願いいたします

 


 “日月神示”に
神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ
という表記があり、その意味は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意が激しく降り注ぎ、これまで人間がやってきたことの結果をこの事象にはっきり示すものである。
(“神による最後の審判”)。 

 そこにおいて程度の低い人間は、昨年の報道にも幾たびかあった通り、その低さゆえの馬脚をたった今現しており、さらに恨みの連鎖の霊的干渉の現象化(天変地異、戦争、犯罪、事故、病気など)に巻き込まれている(“神の咎め”)、ことに昨年の神職の殺人事件などは“役員づら”、
(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)
この程度の低さとその心(靈)の醜さ事態を一般の人に対して見せつけたものであり、その意義は、一般の人々、平均的地球人の霊的成長度における程度の低い認識しか持ちえない程度の低い心(靈)に対して、たった今の世界は偽物だらけであることに気付け、と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が示したものである。 

 これらに相対し、ここまで真摯に自分の在り方を鑑みまっとうに生きてきた人間は、同じく“日月神示”表記の
善一筋”(“善(神格化の方向性と智性の受信)”一筋) 
誠一つ”(これまでが不誠実であったからこれに相対した言い回し)
これを実現しうる資質を獲得してこれから(今後=アセンション後に向けて)顕現する。 

 そして少しでも太陽凝視を行っている方は、昨年解釈を行った“日月神示”荒の巻の表記、
日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)
日継は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行い天意を自分の思想とすること。
絶対光の道(ゼッタイコーのミチ)
“絶対光”は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意。
そして
智普く基の天の言玉の理(チアマネくキのテンのイワタマのミチ)
この“智普く(チアマネく)”は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)、これが“普く”(普遍的)となり、それは
基の天の言玉(キのテンのイワタマ)
“言玉(イワタマ)”は、 “玉”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示し、“言”はこの事象に対する発振、発信、であり、先の“智普く(チアマネく)”と“玉(タマ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)これが、
“基の天(キのテン)”“上”(天)の思惑を顕現する“基(キ)”、それが又生命(生きる使命=存在理由)の法則性、“理(ミチ)”である。 これら自体が高度な“神の恩恵”であることを実感する時が迫っていると思われます。 

 本年もますますブログの文章作成と読者会の活動において、アタシ自身力不足ではありますが、ローム太霊がローム太霊講話集で述べられた天仙の思惑
衆生済度とか真理の探究
衆生とは生きとし生けるもの人間を含むすべての生命、済度は迷う衆生を悟りの境地に導くこと、そして“ほんとう”を求める、これら自体が多くの人間の霊的成長に関与することであり、霊的成長を果たした心(靈)がこの事象に顕現しようとすることそのもの)
これの一端を担っていきたい、と思っております。
 
 児玉登