太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

現実(現津(あきつ)、観察され得る事象)に於ける“上”と“下” 生業(なりわい)中心の“行”

 

ほとんどの地球人の場合、それは、地球人における平均的な霊的成長度の人間というのは、人生に於いて、自分が選択した生業(なりわい)、いわゆる仕事をして、対価として金を儲け、そして自分が幸福と思うことを実現するためにエネルギーを贖う(あがなう)ということをしていく、いわゆる普通の人生を送り、そして死に至るものである。

そういった人生では、霊的成長、神格化に向かうこと、ということを意識するということがほとんどない。 

よって、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”に入っていくケース、というのは地球人に於いてはごく少数である。

そこで、これを読んでいらっしゃる方が間違った認識を持つといけないので、先に述べておきたいこととして、たった今の宗教関係者やスピリチュアルなことを述べている者たちは、自分たちが“行”やっていると主張したとしても、それは「“行”ごっこ」でしかなく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”を行っていないものである。 それどころか今指摘した者たちは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”、それは“日月神示”表記の“役員づら”であり、自分や自分たちの利益のため、自分たちの(形骸の)権威のために、宗教やスピリチュアルを利用しているだけなのであり、こういった者たちは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”を行っていないものである。

今述べた「“行”ごっこ」については以下のリンク先を読んで理解してください。

 

進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を理解するために“その七” 「神に近付こうとする」際の具体的なことを求めはじめるに当たって https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2020/07/06/055415

 

話を戻し、今述べた「普通の人生を送り、死に至る」、これと「進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”に入っていくケース」、これは生まれ落ちた時点に於いての霊的成長度の相違、ということがあり、個々の輪廻転生に於いての、心(靈)の育ち具合に差がある、ということが言いうる。

 そこで、先回述べたこと

「人生に於いて何をさせようとするか、換言すればどんな“行”をさせようとするか」

という、その者の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑がある。

それは、生まれ落ちた時点での霊的成長度と、また、その者がどんな因縁を背負っているのか、その因縁によってどんな仕事を選び、人生に於いてどんな苦難を体験していくのか、あるいはどんな“行”に入っていくのか、これを決定づける要因となるものである。

 

そこで先に述べた「普通の人生を送り、死に至る」という多くの地球人は生業(なりわい)ということをする、それは、いわゆる物や金を得て幸福になりたいがための努力ということをするが、この生業(なりわい)、いわゆる仕事、業務に類することが、自分の“行”であるという自覚を持ちえない者が多いものである。

しかしながらその生業(なりわい)に於いて、エネルギーの贖い(あがない)を行っていくなら、体を使い、思いを巡らせ、生業(なりわい)に於ける“術”(“力”の顕現)というものを構築するものである。

そして生業(なりわい)の対価として報酬を得て、自分が思う幸福、功名心の満足、などを得るものであるが、先の

「エネルギーの贖い(あがない)を行っていくなら、体を使い、思いを巡らせ、生業(なりわい)に於ける“術”(“力”の顕現)というものを構築する」

ということをする過程に於いて、心(靈)の動きというものがあるのであり、それは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)となり、その息吹に対しての霊的干渉がある、ということがあるのは当然のことで、これ事態が“日月神示”表記の“弥栄”の意でもある。

 

ただしその場合は、生業(なりわい)に於ける霊的干渉であるから、その者の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に関わる高い霊的干渉というのは無いであろうことが言え、生業(なりわい)の中で“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を発揮して、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするということがあって自分の在り方や振る舞い方を考えていったとしてもそれは、“一”=智性=1番目のオーラの強化、ということになかなか繋がらないものであり、生業(なりわい)の“行”の場合はほとんど2~3番目のオーラの強化となっているものである。

それは、生業(なりわい)中心の人生に於いての心(靈)の動きとしては、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という心(靈)の、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、までの“行”である、ということになり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に結びつく、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の“行”は対して行えていないことを述べておきます。