太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を理解するために“その四” 真実を見出そうとする心(靈)の発露

著書の<4><5>のそれぞれの話の副題として「事象の形骸化」という表記を使いました。 

この表記の意味合いとしては、霊的成長度の低い人間は、自分が観察している事象、ありていに言えば物事や心(靈)の動きに真、偽、を見出そうとしない、あるいは真偽がわかったとしても、それを自分の利益や立場のために無視をする傾向がある、そして霊的成長度の低い人間は、“ほんとう”に価値のあるなにかを、自分たちの立場や利益のために、偽物にして内実の無いものとしてしまっている、という意味合いを含んでおります。 

 

そこで著書の<4><5>では、

  • 人間全体のための政治は、人間全体の本の一部の金持ちの利益のためのものになっている、そして政治家の財布のためのものとなっている
  • 個々の霊的成長のために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が宗教の開祖に様々な事柄を教えたはずの宗教は、これに従事する人間が“行”を行っていない、よって悪霊を自省(胸の磁性“十”)させるべき祓い、そして死んだ後の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための供養は、儀式にしかなっていない、また宗教の教義も個々の霊的成長のためのものであるのだが、程度の低い人間が間違った解釈をしてその解釈が台頭している
  • 本来霊的成長度の高い人間が“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応して詔(みことのり)を述べ、人間全体の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を助長するはずであった天皇は、現在その役割を喪失している
  • 霊的成長のためのヨガ、“行”である筈のヨガは、たった今全く違うものになり果てている
  • 人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指針となるべきスピリチュアルな事柄は、ただ言葉や雰囲気に酔うだけのものになり果てており、程度の低い人間の金儲けの道具となっている

 

…など、列挙すればきりがないのですが、こういった事柄を考えていただきたい、その指針となることを述べました。

 

 これらを要約すれば、この世界は偽物だらけである。 また偽物をほめそやす人間が多い傾向があり、偽物をほめそやす理由はそこに物欲や金銭欲や本能由来の欲があるからである。 

こういった心(靈)の動きではものごとの“真偽”を見出そうとすることが出来えない。

またこういったことが台頭しているから、この事象において“ほんとう”に価値にあるなにかは、程度の低い人間の考えによって書き換えられて価値を失っている、言い換えれば、自分たちの利益、示威行為や保身のための形骸の権威の行使、これらは“ほんとう”に価値のあるなにかを腐らせていくものである。

これも著書で述べたことです。

 

いま述べた、真偽、“ほんとう”の価値、こういったことを考えうるのは、目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)の心(靈)である。

しかしながら大概の人間は、ただ漠然と生きている、欲望を満たしたなら幸福と思う、そして物事の真偽を見出そうとしない、という、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の動きが中心の人が多い。

しかしそれでは心(靈)が育たないから、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、試練や課題を与えるということをするものであるし、これがローム太霊が述べた右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、でもある。

 

これは先回まで述べた“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)でもそうですが、いま述べている“真偽”に関しても、それを人に見出そうとさせるための試練と課題であり、これをこなしていかなければ人生において心(靈)は育たないものである。

それは“真偽”の区別がついたなら、真実を求めようとする。

また、真実とはなにか、これを考えるようになる。

これ事態が、先の目下(めした)の心(靈)から一段上がった心(靈)の動きと言えるのであり、先ず目前の事象に対し、それの“真偽”を考え判別する、そして“ほんとう”の価値、とはなにか、これを考えはじめる、これら事態が目上(めうえ)(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)の脳の行使となり、その心(靈)の動きは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)となり、その息吹は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応となって“上”の通信を受け得る資質を獲得する。

こういったこと自体が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のステップと言え、自らが“観察と認識”している事象、それは、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)、そして自分の外側(外国と幽界)の事象に、真実を求めようとする、その心(靈)の動きの発露となると言い得ます。