太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

悪魔に対しての認識の無さ “その十五” 悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)が“創造”した事象における傾向 “幼稚化した人間が課題としなければならない自我の強化”

 自我が脆弱な人間は、保身、我が身可愛さが台頭するから、その場限りの嘘をついたり、ごまかしたりする。

 これに相対し、自我の強化の方向性は、自分に対しても他者に対しても嘘をついたりごまかしたりしないし、誠実、真摯、ということを規範として自分を戒め、振る舞うものである。

 

 また、自我が脆弱な人間は、自分が努力をして“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を得ることを避け、頑張ることを避け、簡単に自分の利益になると思しきことを求める。 

 それゆえ簡単に目先の利益になることを求め、その利益のために人を欺くとか、騙すとか、嘘をつくとか、うまくごまかして他者から奪ったりもする。

 あるいは漁夫の利を求める。 そして、自分の利益になりそうな何かを利用して、それを自分の手柄のように吹聴したりもする。 

よって形骸の地位に固執し、それを利用して、形骸を形骸とわからない人間から金を集めたり、権威をふるう、えらそうにしたりもする。

(形骸の地位とは、今の天皇制、政治、経済界、既成宗教など、権威を示す、これが中心になってしまっているそれらが分りやすい)

 こういった漁夫の利、何かを利用して自分の手柄にしたその対象を自分と関連付けて、自分が獲得したのではないそれを大げさに強調するという示威行為が目立つ傾向がある。 

 その傾向の理由と根拠は、自我が脆弱、保身、我が身可愛さが台頭するからであり、これに相対する自我の強化された心(靈)は、自分の低い心を諫め、自分の心(靈)の動きにも行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)にも、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を規範とした観方をする。 また、“ほんとう”の“力”、位(くらい)、とは、人が評価するものではなく、神が評価するそれであることを解るものである。

 

 ローム太霊はローム太霊講話集第五十七話で

真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者

 

と、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を考えない、自分の努力を惜しむ、漁夫の利を得る、形骸の権威を利用しそれに固執する、などの自我が脆弱な人間のことを指摘しておられます。

 

 そのうえで

神は、善悪を問わずただ物を得よと教えているのではないから、人間としては自分が考える善において得ればよい…中略…それは一般の道徳で言う善悪ではなく、各の個人が良心によって定める善悪に従って努力すれば…以下略…

 

と述べておられ、この“個人が良心によって定める善悪”、これに“善悪に従って努力”をせよと述べておられる。 また先の“真心(まごころ)”ということを常に考えるべきである。

 それで、自我が脆弱な人間はこれをしない、したがらない、なので先の、保身、我が身可愛さが台頭、その場限りの嘘をついたり、ごまかしたり、利益のために人を欺くとか、騙すとか、嘘をつくとか、たいして持っていない“力”を大げさに強調する示威行為、などということが台頭している。

 ならば、自分自身が自分の自我の脆弱さを容認しているということになり、また“その十三”のタイトル通り、 自我の脆弱な心(靈)は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を見出せない ということになる。

 

 これを、様々な霊的干渉から考えれば、自我の脆弱な人間は“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)するものである。

 

 これに相対し、“各の個人が良心によって定める善悪に従って努力”、この息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応になる。

 

 そこで、自分が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を見出す、これらの心(靈)の在り方はいま述べた通りであり、これを常に考える(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))ことが、自我の脆弱な人間にとって必須であり、具体的には、自分の非を認め、“神の咎め”(自省させて進化(霊的成長)の方向性を示す)を理解し、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を自分の心(靈)の動きと行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に当てはめて考えるということをしなければならない。

 そしてこれは生きている間だけではなく、死後も考えねばならないことである。 それを教えるために宗教では地獄の概念が説かれていることにも気づくべきである。

 

 たった今は、自我の脆弱な人間が大多数であるという現状ですが、自我の強化、これによる“絶対の善”の顕現、これは人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)にとって必須であることを強調しておきます。