太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

悪魔に対しての認識の無さ “その八” 悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)が“創造”した事象における傾向 “幼稚化した人間は“役員づら”の手法に乗せられている”

 表題にある“役員づら”は、“日月神示”に登場する表記です。 

 その意味として、まず“役員”の意は、

「会社の業務執行および監督を行う幹部職員、 経営者や上位管理職」

であり、これはアセンション、霊的成長度における区分け、これを執行し監督するリーダー的な使命を持つ霊的成長度の高い心(靈)、その資質の意があると思え、その資質を持った=“上”が認めた霊的成長度の人間を、“日月神示”では“役員”と呼称しているのだ、と解釈しております。

 

 それでは“役員づら”とはなにか。

面(つら)の意味合いは、

…のような顔をしている、…のようなようすである、…を騙る(かたる)(うまいことを言って人をだます、騙して金品を奪い取る)、

この意があり、先に述べた“役員”を騙って多くの人間をアセンションに導かない、しかも金品まで奪い取る、という意味合いとなるので、アタシのパソコンの単語用例登録には、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))と登録してあります。

 

 著書で述べたように、これからすべての地球人が体験するアセンションと認識され得る事象は、神の計画であり、その実情は、霊的成長度の高低における区分けである。

 その区分けのために、多くの人間が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味と、霊的成長度ということを知らなければならない。

 また自分たちが霊的に高いか低いか分らなければならない。

 その高い低いは具体的にどういったことなのか理解しなければならない。

 これに付随することとして霊的成長度の低い人間の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)、あるいは少し“上”に成長した人間の行動、これが理解できなければならない。

 

 しかしながら、個々の心(靈)の成長を説いた宗教は、先回も述べた通り腐りきっている。 

 さらに既成宗教では、“慈悲”と“慈愛”、汝の隣人を愛せよ、弥勒の世、最後の審判、など、アセンションの指標となる教訓を“上”が示しているが、これもしっかり説かれていない。

 

 また近年、霊媒による物理現象、ローム太霊の文言や、岡本天明の自動書記による“日月神示”、さらに霊的成長度が地球人より高い宇宙人や宇宙的存在のメッセージも、“上”の計画として地球人に下された。 

 これはアセンションの時期

(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)

が近いからであるからと言えるのだが、それら文言に対し自分たちの都合の良い解釈をして、だれにでも分りそうな言葉を一部を強調してご利益めいたことを説いて出版物を売る、セミナーなどを開くなど、単なる商売に成り下がっているものが多数見受けられる。 

 その功罪としては、こういった事柄を一般にはエンターテイメントとして扱われている傾向があり、その極めて重要な内容は、程度の低い人間の商売により捻じ曲げられて流布されているという現状がある。

 

 こういった“役員づら”の手法、これの真偽を見いだせる人間があまりにも少ない。

 それは、自分は何のために生きているか、自分とは何か、自分の人生とは何か、神とは何か、などを真摯に考えることが出来るほど目上(めうえ)の脳を行使していない。

また、そういった事柄を真摯に考えるという段階に至るほど“上”が試練を与えていない(右往左往から左往右往ということが出来ていない)。

それはまだ動物から少し進化した程度の幼稚な心(靈)であるケースが多い、あるいは多少考える素地を持っていても、“役員づら”の手法により甘い言葉の方を信じたがる。

 

 これらは単に霊的成長度が低い、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心(靈)の動きしか持っていないから、ありがたそうな言葉に酔うだけ、また、ご利益しか求めない心(靈)があるから、苦痛や苦悩を避けて“役員づら”の程度の低い解釈や甘い(亜、魔、出ずる、泉)言葉に乗せられ、アセンションの意味と意義を真摯に考えない。

 それだからこそ、“役員づら”、“役員”を騙り商売をしたり自分の低い功名心を満たしたりする人間は、結果としてアセンションに移行する資質を持つ人間をダメにする、よってそれは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)であると言いうる。

 

 それで、次の段階、今と違う霊的成長度の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”、これがアセンション後の現実、ではあるが、これに参加されたい、と、これを読んでおられるご自身が思われるならば、自分自身の霊的成長度が“日月神示”の“ケダモノ”、“われよし”であるだろうか。

 あるいはローム太霊講話集の第二十一話の、

親が勝手に産んだのだから俺は仕方なしに生きて勝手なことをするのだという、動物的なあたまの持主

これに該当するか。

 自分の心(靈)をよく“観察と認識”しておかねばならない。

 

 それで、今後=アセンション後の現実の指標たることとしてひとつ例を挙げれば、ローム太霊講話集第二話の

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち…中略…神の気持ちは人間の心の中にもありながら…中略…自分のできる範囲でこの神の心を出せばよい

これを自分の在り方とする。

 

 以上、“日月神示”とローム太霊の言葉からきわめて解りやすい事例だけピックアップしましたが、常に自分の心(靈)の動きを自分自身が“観察と認識”して、これは“上”だろうか、“下”だろうか、自己観察をする、その自己観察(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)は目上(めうえ)(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))の行使につながる。

 そして平均的地球人が動物とは違い、少しだけ持ち始めた智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を行使したならば、“役員づら”の手法は偽物であり、“上”の意図とは違うものであることが判る筈である。

 その上で自分は“ケダモノ”“われよし”“動物的なあたま”よりも“上”の心(靈)の発現と行使、自分のまっとうさ、これを求め、現実=この事象に顕現する、そうするならば“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応が進むものであり、さらに智性(神性)は増していくものであることを、今回のテーマから派生することとして、あえて述べておきます。