太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

神に対しての認識の無さ “その五” 現世利益に対する認識の低さ

「現世利益」で検索すると「神仏の恵みが現世で与えられる」という意味合いの解説が多く見られます。

 この“神仏の恵み”に何を思うか、“惠み”とは何か、どういう過程を経て“与えられる”のか、について考えている人間はとても少ないと思えます。

 

 大体一般に(平均的地球人の霊的成長度の段階における認識としてという意味合い)、自分が何かに対して頑張る(元の気を張る)と“正当な報酬”として結果が得られる、その頑張りが“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に適っていると“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの援護があり“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を示すことが出来る、という概念はなく、神社仏閣で賽銭(さいせん)を放り込むとよいことがあるかのような錯覚をしている。

その錯覚(妄想と、勘違いと、思い込み)を起こさせているのが“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))の手法でもあるのですが、これにどっぷりはまっており、はまっているが故に自分と神の関係など考えたことが無い人間が大多数。

 

 またこういったことは神社仏閣に限らず、似非(えせ)スピリチュアル、インチキ霊能力者、インチキ占い、カルト教団、あるいはインチキダイエットやインチキサプリメント、などにも、自分にとって都合の良いご利益を求め、それらの真偽を問わない傾向もある。 

それは、現世利益しか求めない低い心の持ち主というのは、エネルギーを購わない、贖う(あがなう)ことを嫌う、頑張らないで自分に都合の良い結果しか求めないという傾向が強い。 

例えば、投機に手を出すとかそれで儲けることが成功者や勝利者などと思う、これは“上”が認める“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に適った“正当な報酬”とは言い難いものであるが、それを行っている程度の低い人間にその認識があるとは思えない。 

 あるいは人間の霊的成長にとって必要でないか、霊的成長の足を引っ張るものを利用して商売をする、たとえばご利益で人を釣る形骸の宗教、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))が書いたスピリチュアル本、本来の意義を見失い形骸の美と形骸の健康を求めさせるヨガ、たいして効果のないサプリメント、例えば自分が改善しなければならない生活習慣を省みないで血圧を下げるとか血糖値を下げるとか、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢をみさせる、それはその人が努力しなければならないのだということを忘れさせてしまっていたりもするのだが、そんなもので商売をする輩、そしてそんなもので自分の体のことを改善しようとする輩、あるいは、低い功名心を満足させるためにブランド品で商売をして、そんなものに価値があると思い込む低い人を対象にそれを買わせるとか、形骸の美を求めさせようとする美容、あるいはインチキダイエットを推奨するとか…例を挙げればきりがないくらい多いが、そこには甘い考えと低い功名心と低い自尊心という進化程度の低い心の動きがみられるものである。

 

これらはこの世界が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“どういうつもり”(思惑)で“創造”したインチキであり、これに満ちていますが、これらに対しても、ご利益を求め、とかく甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見たがる。

 

こういった、自分が頑張らないでよい結果だけ得たいと思う人間に対し、それは霊的成長度が低いのだということを著書やブログで幾度となく述べてきていますが、そういった心(靈)の動きをする人間はたった今読者会のメンバーに対し宿題の一つとしている“ブタのけつを見ているアホ

(“アホ”とは、霊的成長度の低い人、認識の低い人、形骸の価値観しか持たない人、形骸の価値を刷り込まれている人、“ブタのけつ”とは形骸の価値しかないもの、あるいは形骸の価値を刷り込もうとしている何か、そのための大げさな手法などの意味合い)

でもあり、こういった人間は、先に述べたことと重複しますが、自分が頑張らずに良い結果だけ求めることをして、今、自分に起きていることが“神の咎め”とか、神が与えた自分の霊的成長のための試練とか、ということを考えない。

 

それは自分と神の関係を深く考えたことが無いということであり、たった今が苦境であると、神と自分の関係を考えないが故に、自分の努力が足りず“上”から結果を与えられる許可を得られない、とは思わず、運命のせいにしたり環境のせいにしたり他者のせいにしたりetc.要は自分は悪くないのだと思いたがる傾向がある。

 

この“自分は悪くないと思いたがる傾向”は自我の肥大ゆえのことであり、それに相対して、自分がどうしたらよい結果を得られるのかを考える心(靈)の動きは、自分にたいする“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“であることも著書やブログで述べていますが、こういった人間が少なすぎる感はあります。

 

それで現世利益、これに関してはローム太霊講話集でローム太霊も述べておられますし、おそらくローム太霊講話集を読まれたんだ多くの人間が、太霊が述べた“現世利益”に対して自分にとって都合の良い解釈をしていると思えるので(東の方角に祈ると金がもうかる程度の解釈しかしていない)、アタシ的解釈(Kellyさん的解釈)を以下にコピペしておきます。 

 

ローム太霊が使われた“現世利益”、この言葉に対して、やはり霊的成長度の差により解釈はまちまちであろうが、神が人に託した本当の人にとっての“現世利益”は“凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち”、これをこの事象=“現世”に顕現していくべきであろうし、それが本当に人にとっての“利益”であるし、単なる商売繁盛とか物欲を充たすとか、そう思うのは本能由来の心(靈)の動きがあるだろうからであり、それと低い人が思う目先の欲望の達成とか低い認識の幸福ではない。  

そんなこと由来で東に願うような人間は自らの低さを露呈しているようなものであるし、そのことも“その見る時の心によって”=その人の進化程度と心の動き、それに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)している霊的存在、その高低、要はその人の心(靈)(ヒ)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)している霊的存在の“上”“下”を示しているものである。

敢えて述べればその低さは、天の僥倖、現世利益しか求めない、太霊の言葉を引用すればぼたもち坊ちゃん(ローム太霊講話集316頁)、自分にとって都合の良いことしか願わないとかというまったく勝手なものであり、“下”である自分たちが、自分より“上”である神さんに物事を頼む、祈る、のであるならば、それは、

この世界そのものが良くなっていくことにつながらねばならず、

多くの人が霊的成長することにつながっていかねばならず、

願って祈る自分は自分の霊的成長という要素もその願いと祈り(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))でなければならず、

それがあって願いというものは達成されるべきであるということなのだが、一般の人にその認識はあまりないと思えるし、自分の目先の利益や自分にとって都合の良い願いしか祈らないその低い心の動きは低いのだということを多くの人、平均的地球人の進化過程の心(靈)の人は認識しなければならないと思うものでもある