太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

神に対しての認識の無さ “その四” 神や宗教を利用して権威を示す程度の低い人間

 著書でもブログでもさんざん述べておりますが、霊的成長度の低い自我の肥大をした人間は、自分の権威を誇示して他者を利用し、金や物を得ようとする。

そして、そうやって得たもので自分の本能中心の欲望(目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)所以の欲望)を満たして低い功名心と自尊心を満たして程度の低い幸福感に酔っぱらうものである。

 またこの自我の肥大した人間は、多くの宗教で説いている胸の磁性“十”所以の心(靈)の発現、“慈悲”と“慈愛”、汝の隣人を愛せよ、という心(靈)の動きが無いからこそ、他者のことなど考えないし、その極端な例として宗教戦争などを起こす者もいる。

 

 こういう程度の低い人間ほど、自分のエネルギーをまっとうな事に真摯に贖う(あがなう)ことをしないが、これに相対し、人を騙すような“力”を獲得することに対してはエネルギーを贖い、その“力”の行使に努力する。

 

こういったことにより、権威や伝統のある何かを利用して、さも自分のもののように扱い、自分が努力して勝ち取ったかのような吹聴をして自分たちの権威を示して無知な人を引き付けている。 

 

この具体的な事柄が、多くの既成宗教、宗教団体に観られることであり、また聖徳太子が現われたころから腐り始めた天皇制であると言い得ます。

(豪族が天皇を利用して権威を示したから)

これに対しアタシは、アタシの文章中で“形骸の権威”という表記を使い、“ほんとう”の意味合いでの“位(くらい)が高い”(霊的成長度が高い)ではないのだと述べております。

 

 それで、こういった人間にとっての神や宗教は、自分たちにとって都合の良い道具でしかない。 

さらにこういった人間は、自分と神の関係を真摯に考えたことなどない。

 また宗教が何のためにあるのか、宗教を形作らせた“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑など理解できないし、そこまでの霊的成長度ではないことを指摘しておきます。 

 

 この“権威を示して無知な人を引き付けて金儲けをする”これに関してはローム太霊講話集 第五十七話 行業一致の一途の努力 の以下の文言がとても理解しやすいので引用します。

 

汝等は現在、物心の両面である程度の蓄積もあり資格も与えられているが、尚一段の行業一致のひたむきな努力は、必ずその身に光を現してくれるのであるから、そうなってこそ人を抱擁出来る人間になれるのである。 世間には真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者も沢山いるが、人間は真というものを良く知り抜いて、自分の真の上にほかの人のよいところの真を付け加えて、初めて自分の最大の力を発揮することが出来るのである。 そこをよく見通して、神から与えられた想像(創造に通ずる)の力をますます伸し、その考えの現われを現界に残してゆくのが、凡ての人間に課せられた義務と思わなければならない” 

 

この“巧言を持って人を籠絡している者も沢山いる”、これに騙される人間は、物事に“真偽”を見出す智性(神性)が無い、足りないといえ、先の記事で述べた“信仰ごっこ”に打ち興じるものである。

 

 またこの、騙す方と騙される方は、ほぼ同じ霊的成長度といえ、同じ程度だから、自分は騙していないのだ、自分は騙されていないのだ、という思いようをするものでもある。

 

 こういった人間たちには

人間は真というものを良く知り抜いて、自分の真の上にほかの人のよいところの真を付け加えて、初めて自分の最大の力を発揮することが出来るのである。 そこをよく見通して、神から与えられた想像(創造に通ずる)の力をますます伸し、その考えの現われを現界に残してゆくのが、凡ての人間に課せられた義務と思わなければならない

 

この“真というものを良く知り抜いて”などという太霊の文言の意味合いなど理解できえないものであり、ただ“巧言を持って人を籠絡している”生業(なりわい)をすることに一生を費やす程度の低い人生であると言い得ますし、これは“日月神示”表記の“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは人の霊的成長を阻む悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)であると指摘しうることです。