太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

神に対しての認識の無さ “その二” 信仰ごっこをする人たち

 今回の記事の要旨は、たった今の人間の信仰は単なるごっこ(ごっことは、ある動作のまねをすること、子供遊びの一種、何かになったつもりで遊ぶこと)

であり、それは“ほんとう”の信仰でもなく、そこにおける信仰の対象も、“ほんとう”の認識における“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)=神でも仏でもない、ということです。 

 またこの神と仏という分類も、それぞれの宗教関係者の都合による分類と言い得ることで、自分たちが信仰しているものだけが一番である、権威があるのである、他の宗教は認めない、などという自我由来の考えが反映しているものですが、霊的成長度における区分けとしては“上”と“下”しかないのであり、神や仏、そして宇宙人や心霊においても一切が霊であるから、こういった観方をするのが正鵠であると言い得ます。 

 本題に戻り、今更述べるまでもなくたった今の既成宗教は形骸の権威を示すものに成り果てており、金儲けの道具に成り果てているものである。 

 なぜそうなってしまっているのかについては、宗教関係者が“上”、神や仏について何も知らないに等しい、その存在の意味を追求しない、それは神職、僧侶、神父などで、霊的成長のための“行”を行っている人間がいるかどうか? こういった人間が“上”=神や仏のことを語る資格があるか、その資質があるのか、であり、宗教関係者自身が自分と“上”との関係など考えもせず、昔から伝わったことをただ伝えているだけであり(神職や僧侶になるための学校で教わったことを述べているに過ぎない)、その伝えることにおいても自分たちが“上”と自分の関係を何も追い求めていないから勝手な解釈を混ぜてしまったり都合よく書き換えたりしているものであるが、こう言った事情に気付く人もあまりいない。 

 こういったことが正しい形でないことに気付いている人は多いと思いますが、なんとなくそんなものだと思うならば、それは、やはり神に対しての認識の無さが台頭した程度の低い認識と言えます。  

 それで、こういった人たちの低い認識における神や仏、信仰というものは、ご利益を求める心が台頭しており、自分が頑張らなくてもお札を授かる(これは宗教関係者が“行”やっていないからお札に“上”が下りていないので効果の無いものを購入したにすぎない)、賽銭さえ放り込めばご利益があるという“役員づら”の自分たちに都合の良い言葉を受け入れ、そこに対して疑問をさしはさむこともなく、単なる儀式と金儲けにしかなっていない参拝や先祖供養や祓いを容認しているものであるし、そこにおいて自分と自分より“上”である神や仏の関係はそういったものなのか?ということを考える人はごく少数でしかないものである。

 

 この「自分と自分より“上”である神や仏の関係」、これを考えないこと事態が、幾度か紹介しているローム太霊講話集 第二十一話の

親が勝手に産んだのだから俺は仕方なしに生きて勝手なことをするのだという、動物的なあたまの持主

これに相当するといえ、たった今自分の目の前にある事象に対してその意味や意義を考えることをしない、自分が生きていることに対して深く考えることもしない、という目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心(靈)であるといえますが、こういった人間でも心(靈)は少しずつ育つものであり、自分の一生において神を意識する、神とは何かを考える、心(靈)が育ったならば必ずそういった機会はあるものである。 

 その機会は、例えば、生業(なりわい)などにおいて頑張っても頑張っても結果が出ない、なぜ結果が出ないのか考える、あるいは自分が死にそうな目に遭った、身近な人が死んだ、この時点で自分の死、他者の死、を深く考えるようになる、死を意識することになっていく、など、こういったこと事態が自分を育てようとしている“神の采配”であるが、これこそ体験してから考えることであって、その体験が無ければ神と自分の関係など考えたことが無いのが一般の人たち=平均的地球人の霊的成長度における神に対する“観察と認識”である。 

 またこの体験は、“上”が課した試練であり、教訓を得させるためのものであり、その体験、試練を与えられるくらいには心(靈)が育ったといえるものであるが、こういった人もたった今の地球人全体を観るならばごく少数でしかないものである。 

 この時点において初めて自分と“上”=神や仏との関係を考え意識し始めるといえ、たった今の人間の多くは自分が信仰をしているという自覚はあったとしても、その信仰は“役員づら”に刷り込まれたものであり〈“役員づら”の行いについては別の機会に詳細に取り上げることとします〉信仰ごっこでしかない。

 それは神を言葉でしか知らない、ただありがたそうな言葉や雰囲気に酔っぱらっていればよい、また形骸の権威にだまされているから、そこに疑問をさしはさむことをしない。 

 また宗教関係者も、先に述べたように自分と“上”である神や仏との関係を深く考えたことがある人間はてんで少ないものであるからこそ、“役員づら”の行いが台頭しているものである。 それは最近起きた神職の殺人事件を観ても、どれくらい程度の低い人間が神職に従事しているか、その裏にあるのは(通貨としての)金と権威でしかないということすら気づかない人間が多いと言い得ます。 

 信仰ごっこをする人と宗教関係者、この両者は、神は、ただ守ってくれるとかご利益があるとか…悪魔は概念的なもので実際には存在しないとか…よって神とか悪魔とかは自分とは関係のない、そんな程度の認識しか持っていない、またこういった指摘が無いとこのことについて考えたこともない人間が多い。 

 こういった霊的成長度の低い人間が大多数なのがたった今の地球の現状なのだ、これはすでに著書で述べたことではありますが、改めて思わされるものです。