太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

自凝(おのころ)の強化を終えるにあたって 

 自分が鍼灸師という生業(なりわい)を選択し、国家資格を取得するための学校に通い、その学生の頃に経絡(ツボの流れ)が生体内電流の現象であることを知った。 

 そして18歳の誕生日、突然、霊眼(れいがん、憑き物の視覚を共有し、人の目の機能が感じ(感じる磁性)る可視光線以外の電磁波を感じ(感じる磁性)こと)が発動し霊的存在やオーラが見えるようになった。

 その後、太陽凝視を教えてくれたKさんが、様々な霊縁を組んだ“上”の思惑を経てアタシを訪ね、イダ、ピンガラ、クンダリーニの白光、アナハタチャクラ、ヴィシュダチャクラ、アジナーチャクラ、サハスララチャクラ、また全身から発せられるオーラ、これらを観測した。 

 これらの事柄は著書で述べたとおりです。 

 それで著書で紹介した画像はモノクロであり、今回、記憶をたよりに作り直しましたので以下に貼っておきます。 なお、黄色は金色のオーラであり、それ以外はこういった原色に近い形で見えたことを付け加えておきます。

元画像に記憶を足して作り直した画像

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ちなみに著書で紹介した元画像、上記の画像はこれに記憶を足して作り直しました。

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こういったものを見た、自分にとっては青天の霹靂みたいなものであった、そして思うのは…

「これらの事象は自分にとっていったい何だったのだろうか?」

これについて考え、太陽凝視、電気行、月の凝視を行い、また人生においての様々な試練、“上”がアタシに課した課題、これらをこなしつつ“上”と感応しながら(時には迷い、道を踏み外しながら)思索してきた。 

それで、先の経絡(ツボの流れ)が生体内電流の現象である、ここから派生した発想、それはまず、 

  • 骨と神経は電磁石を構成している
  • 生命活動は生体内電流の現象である
  • 生体反応も生体内電流の現象である 

であり、その後発想したこととして 

  • 肉体は一個の大きなコンデンサーである
  • 肉体の各部分、臓器や筋肉なども、電気抵抗値の違う膜に覆われているのでそれらもコンデンサーである
  • 体液は錯体である
  • 肉体が持つ電磁石の構造は、磁束を発現させ、その磁束はローレンツ力となり、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を止め、心(靈)を発現させている
  • “行”における苦痛や苦悩は、生体内電流の強化である
  • 人生において“上”が課す試練や課題、その苦痛や苦悩も、生体内電流の強化である
  • 肉体は円形加速粒子器の構造を持ち、これがオーラの発振、発信の理由と根拠である
  • 1番目、2番目、3番目のオーラの違いは、円形加速粒子器を構成する肉体各部分の構造の違い(“臓”)と、肉体各部の生命活動と生体反応の違いによるものである
  • 生体内電流の強化と、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これの高い振動と感応して“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)すると、脳のタンパク質の高分子化(高い神霊が使う表記の“山”)となる
  • 自凝(おのころ)は、生体内電流によることであり、同時に微生物から人間への進化において起きていることである
  • 微生物から人間への進化においての自凝(おのころ)、それは心(靈)の発現も、程度の低い本能から、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、と認識され得る変容をしているものである
  • 肉体各部の自凝(おのころ)の度合いにより、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の感応と“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)は、違っているが、これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の高低である。 
  • 上記の進化過程の高低とは、霊的成長の過程(どれくらい神に近付くか)であり、普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階と言いうる

 

 これらの事柄を思索する過程、これは最近解釈を終えた ローム太霊講話集 第二十六話 仙道と人間の生活 これの

 

人間は変動しない一つの焦点に対して、そのものから凡ての想像を巡(めぐ)らし、それをあらゆる角度にまで持って来る…中略…科学者が一つの点の移動によって線が出来たというのと同じ…中略…この一点自体もやはり一つの仮定であって…中略…常に進化していることには変りないのであって、人間の想像もかくあるべき…中略…過程の上に理論(セオリー)を積み重ねているのが科学であり、想像によって理論(セオリー)推し進めているのが哲学であり宗教であるとするなれば、この相反している二つの焦点が現在いかに遠く離れていようとも、それは同じ一点…中略…その最後は再び一点に合致する…中略…そこに神の意図がある

 

これに一致する点が多々あり、そして先に述べた

「これらの事象は自分にとっていったい何だったのだろうか?」

この答えをアタシが導き出す過程

一点に合致する…中略…そこに神の意図がある”であったと言い得ることが出来ます。

 その答え、これらは、このカテゴリーの“ほんとう”の進化論 生命の存在の意義と意味、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、進化は結果として、ローム太霊講話集第二十六話の文言

人間として幸福に進んでゆくのが本当

これに繋がっていくものであるし、その“幸福”は霊的成長度の程度の低い人間が思うそれとは違うことを、以下の画像で示します。

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 “ほんとう”の進化は、霊的成長、神格化に向かうこと、であり、進化を果たした人間の世界にはたった今の恨みの連鎖の霊的干渉による醜い事象は無くなる、そして価値観や幸福感も高いものに変容する、それがアセンションの真実である。

 そして人間としての進化の秘訣は、“一”=智性=1番目のオーラにある。 こういったことをこのカテゴリーから読み取っていただければ幸甚です。

 

 次回から新しいカテゴリーを立ち上げ、霊的成長度の高低における“観察と認識”の違い、これを中心に述べることとさせていただきます。