太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

自凝(おのころ)の強化 “その二十四” 1番目のオーラの強化に入るためのステップ

 今回の記事はここまで述べてきたこととかなり重複します。

 

 たった今の平均的地球人、これは霊的成長度が低いので、まず自分の人生の過ごし方として砌(みぎり)の“行”、生業(なりわい)を頑張る(元の気を張る)。

 またこの時点では、自分の人生において自分がやっていること事態に対し“行”という認識もないものであるし、頑張る理由は自分、あるいは自分の周囲の幸福に由来することであり、さらにその幸福感の低さ(幸福の概念は霊的成長度によって違うものである)ゆえ欲望の達成のため(通貨としての)金と“上”に認められない形骸の名誉を欲し実現しようとする。 

 これは霊的成長度が低い段階の“行”、低い心(靈)の成長の段階であり、その心(靈)の動きは本能、情動、功名心、自我、自分に対する愛(炁)、これらが中心。 

そしてその段階は2~3番目のオーラの“行”でもある。 

 

 だが“上”は人間を育て進化(霊的成長、神格化に向かうこと)させようとしており、ある程度この生業(なりわい)の“行”において頑張らせて、低い幸福感をある程度満足させるが、その次の段階として右往左往=やってみてから失敗を体験させる。

 これは“上”の采配であり、自分の失敗を“神の咎め”として認識させ、それまでの生業(なりわい)の“行”がまっとうなものであったか、自分の人生がまっとうであったか考えさせることをさせて心(靈)を育てる。

 それが左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をすることに繋がり、自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方、どう使うのが正しいか考える。 

 

 この考える過程において“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)(善と悪の認識も先の幸福同様、霊的成長度において違うものである)の認識も深まっていき、またこの認識自体がしっかり確立された者にならなければ心(靈)が成長したとは言えない。

 さらに“神の咎め”が自分を育てているものであることを認識(悟り、幸取=さとり)したならば、これまで言葉でしか知らなかった神に対する認識も深まっていき、

 

  •  神と人間の関係、神が人間を育てている
  •  自分の人生は心(靈)を育てるためのものである
  •  自分の存在の意義とはそこにあるのではないか…

 

こういったことを考えるようになる。

 

 これらは言葉では理解できるが、言葉で理解しただけでは認識(悟り、幸取=さとり)になり得たとはいえず、その言葉の意味の重大さ、重要な事なのだ、とはっきり解る、解らねばならない、理解でき認識(悟り、幸取=さとり)にならなければ心(靈)が育ったとは言えない。

 また、これら事態が自省(胸の磁性“十”)の“行”でもあり、自分がこの事象においてどう在るべきか考え、その考えのもとに“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を使う、これが右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、ということであり、に入り、さらに霊的成長、神に近付くにはとても長い道(“道”(時間の進行))があるからこそ、この右往左往と左往右往を繰り返すものではあるが、ある程度育ったならば、生業(なりわい)の“行”における程度の低い“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の認識とは違い、さらに神と人間、神とは何か、神の子である自分とは何か、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)とは何か、について考え(“理(ミチ)”進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性)、そこ考えを認識(悟り、幸取=さとり)として自分の生き方、存在の在り方、これに対し活かそうとするものである。

 

 この段階に入って進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を求める、これが人間の在り方であることに気付く、自分の存在の意義と意味はそこにある、ということをしっかり認識していかねばならないものでもある。

 またこれ事態が最近読者会の宿題にしている“日月神示”表記の“善一筋”の意味合いの一つでもある。

 

 それで、先に述べた普通の人生における生業(なりわい)の“行”における右往左往と左往右往の繰り返しでは、先回述べたとおり、せいぜい“一”=智性=1番目のオーラは2cmくらいにしかならないが、“日月神示”表記の“富士(二二)”、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、その日足(ひたり)の極性は強化され、先回説明した通り左脳にたくさんの電流が流れている状態になり、この段階で太陽凝視に入るならば、“一”=智性=1番目のオーラは強化され、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の高い振動と感応し、“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)して、心(靈)と肉体は創り替わるものであるが、先に述べた“ほんとう”に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を求める心(靈)の条件がそろっていなければ、“上”からの振動の高い部分とは感応し得ないで素通りする。

 それは“上”から送られてくる低い振動、結果として2~3番目のオーラの“行”中心であり、余談になるが、かなりまがい物が多い太陽凝視=不食という情報の根拠はここにあり、腹の“行”が進んだならば不食などということも達成しうるものでもある。

 しかしこれ事態が腹の“行”所以の自我の強化であり、それはまた自我の肥大に近く、ただ自分を示したい、自分はすごいのだ、すごいことをやっているのだという示威行為由来の太陽凝視に対する低い見識でしかないものであるし、こういった心(靈)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に感応する動物霊は、著書で述べたとおりあまり食事をとらない爬虫類のようなものが多いと推測されます。

 

 次回も、人の一生における“行”について述べ、“一”=智性=1番目のオーラの拡大について説明することとします。