太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 からお読みください。

自凝(おのころ)の強化 “その二十一” 砌(みぎり)の極性と生業の“行”(2~3番目のオーラの“行”)

先回述べたとおり、人には“幸福の概念”がある。

それゆえ人は“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を欲し、獲得して行使して“力”を示したい。 

 そのために自分は頑張る(元の気を張る)。 

それは霊的成長のための“行”ではなく、その前段階としての“業行”において頑張る(元の気を張る)、そして“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を獲得して、それを他者に示し行使して、その代償として、(通貨としての)金や権威や名誉などを求める。 

 

これは平均的地球人の霊的成長度、自我の確立=固定化、その過程においての心(靈)の動きであることを著書やブログで幾度も述べていますが、これ事態が“力”の使い方としては低い段階であり、これこそが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きによる“力”の使い方である。

そしてその心(靈)の動きは、肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、自我における砌(みぎり)の極性の現われである。

 

但しこの段階、自分が頑張ることにおいては、人間は動物と違い目上(めうえ)の脳が発達しているからこそ、善悪の考察というのは多少ある。

だがそれをあまり考えず、とにかく“力”を獲得し行使することを中心に生き、そこにおいて自分の損得を考える。 

これは自我の発達と強化のために、自分をこの世界、この事象、もうひとつ“日月神示”表記の“外国”において示したいものであるが、これは智性(神性)の獲得には直接つながらず、霊的成長度の低い“行”と言いうる。

そしてこの低い段階の“行”があってこそ、ローム太霊が述べた右往左往と左往右往、それは右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、ということになっていくのですが、この過程を経ていかなければ、“力”の使い方、それは“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)ではありますが、自分は“力”を獲得したならば、こう使わねば、“力”を持った人生においてこうしなければ、こう在らねば、という認識にはたどり着かない。

 

 前後しますが、この段階は“行”というよりも、修業や修行という言葉の方が適切。

しかし何かを求め頑張ることは、肉体内の生体内電流の強化と変容になり、それがオーラに反映し=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)となり、頑張る過程で心(靈)も育っていく。

 このことを述べた著書の<4>の文章を以下にコピペさせてもらいます。

 

“さて、オーラが大きくなるということがどういうことなのか、神経系の電流量が多くなると、骨と神経は電磁石だから磁場が大きくなる。神経に電流を流すことは、何かしなければならない。安静時でも、体の新陳代謝のために神経系には電流が流れているんだが、例えば、スポーツで筋肉使ったりすると、筋肉痛になるが、その時は、筋肉の細胞の新陳代謝が行われていて、使う前の筋肉より、レベルの高い細胞を創り出そうとしている。

 その過程で、神経系の電流を知覚神経が感じるから、痛みとして認識する。このことは言い換えれば、生体内電流の増幅と言える。筋肉や内臓は、蓄電池のように生体内電流を溜め込むことができる。溜め込んだ電流で、より以上に神経内の電流を多く流せる。肉体を使うときにね。そうして2、3番目のオーラの基底が構成されている。

すべての神経内の電流は、視床下部を通り脳に伝えられる。般若心経に対するアタシの私見で、羅、という字の説明したこと、思い出してね。視床下部を通り、脳に伝えられた電気的情報と、感情と思想、記憶など脳内の神経の働きで、1番目のオーラの基底が構成される。神経系に多くの電流を流し、オーラを大きくして、それに伴い肉体を作り変える事を、行、修行と呼ぶんだと思う。それが、アタシの修行の解釈(見え始めた日 参照)”

 

これに対しKellyさんはこうつぶやいています。

 

“先生の説明……“神経系に多くの電流を流し、オーラを大きくして、それに伴い肉体を作り変えることを、行、修行と呼ぶ”……この言い方は少し足りへん感じ…心が変わっていくやんか。それが霊的成長やし…ほんでからこの時点で、認識することについてはあんまりいうてない。

この時は多分、Kellyさんの認識の程度に合わせた話やったから、心身ともに作り変わる…そういう言い方をせ~へんかったんやろな。

それは、心の反映が肉体…こういう言葉の理解…Kellyさん自身の認識…そういう言葉に対する深い理解が、Kellyさんになかったからからやな。

ほんでからに、霊的成長=心の成長=認識の変容=電磁波の吸収=オーラの拡大と高振動化…こういう話を、この間うち聴いてたから、今ならこの先生の言い方と、行と修行…この言葉の意味も解る”

 

 それでタイトルの「砌(みぎり)の極性と生業の“行”(2~3番目のオーラの“行”)」この段階においての“上”からの振動の取り込みは、先にも少し述べましたが、智性(神性)の獲得には至らず、2~3番目のオーラを構成する振動を止め、それを発振、発信する。

この段階で“力”を示す、(通貨としての)金を儲け名誉や権威を獲得し物欲を満たす

低い幸福感を得る。

 

 しかしそれでは人間としては低いので、先に述べた右往左往と左往右往により、自分の在り方を考えるようになるが、これこそが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の采配と言え、人生における試練を“上”から与えられ苦痛や苦悩を体験し、そこで得られた教訓を活かす人生を送るようにとなる。

 こうして心(靈)は育っていき、智性(神性)を獲得する素地を得ていくものですし、その過程においては日足(ひたり)の極性の強化がある。

 次回は、日足(ひたり)の極性について述べることとします。