序文
これまで三本のブログ、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話(出版されたもの、ブログ自体は削除済み)、
(“日月神示”解釈、ローム太霊講話集解釈など、現在も進行中)
(生命の発現と進化の過程についてなど)
において、自分の認識を述べてきました。
上記文章は、アタシ自身が厳しい太陽凝視を行ないつつ人生においても“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が与える課題をこなしてきた…その結果として心(靈)が平均的地球人よりも多少育ったので、ものの観方の変化と思想や思考の変容があり、さらに心(靈)が育った=霊的成長をある程度果たしたことによる“上”との感応によって、自らが感じ取る外側(外国と幽界)と内面とか内側(心の中と感じている事)の事象の観察を行ないつつ認識したことであり、結果としてその認識(悟り、幸取=さとり)を述べること事態は、ローム太霊講話集の第十八話で太霊が“天仙”に関して述べられておられる以下の文言、
“衆生済度とか真理の探究”
(注、衆生は生きとし生けるもの、人間を含むすべての生命、済度は迷う衆生を悟りの境地に導くこと)
これに相当するものであるという自負を持っておりますし、これ自体がアタシの生きている間の使命であると思っております。
それで、これら文章において述べたいことが多岐にわたっている。 それはいわゆる進化論のようなものであったり、宗教で説かれるべき神と人間、“創造”の“主(ヌシ)”と生命の関係であったり、宗教関係者が遵守しているとは思えない人間の在り方、いかに生きたら人間は神に近くなるか、であったり、この世界とはなんなのか、などという量子論的な考えも反映していたりしますし、述べたい事柄はこれらにとどまりません。
その多岐にわたっていると思われている事柄、すべて人間が“上”から通信を受けたり、自分たちが遭遇した事象において自らが発想したり深く意味を考えたり、さらに心の命じるまま実際に発想したことを行動で確かめたり…そうやって人間自体が認識して学問や宗教というカタチになってきたことでもありますが、多くの人間の霊的成長度が低いので見落とされている点もあると思えますし、霊的成長度が高くないと気付けない要素もある、それは多くの人間が高い“上”と感応していないので気付けないということです。
さらに、人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のため“上”からの通信を受けた宗教の開祖たちの教えを、既成宗教関係者などのように自分たちの霊的成長度が低いから権威を示す道具にしてしまい、さらに金儲けに利用され、低い功名心と自尊心を満たして満足してしまってそれ以上意味を追及されていない、結果として“日月神示”表記の“役員づら”が“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が示した貴いなにかをほとんど腐らせてしまっており、これは“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応していて“下”に心を乗っ取られているという人が多いからでもある。
要は“上”の思惑通りになっていない、“上”は進化を望んでいるが人間が人間の進化の足を引っ張っている、これらのことを踏まえたうえ、さらに“行”しながら“上”と感応しつつ、アタシが気付いたこと、見つけたこと、それは、
- 生命の発現と進化
- 進化の意味と意義
- 生命の存在の意味と意義
- 神と生命、神と人間の関係
- 人間の心(靈)の在り方、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指標
- この世界、現津(あきつ)、観察され得る事象とは
- 生体内電流のこと
…など、これらのことを述べてきたつもりではあります。
しかしながら、それぞれのブログにおいて説明の仕方が今一つ、あるいは他のブログにまたがって述べていることなどもありました。
さらに三本のブログの文章の量も膨大なものになっており、ちょっと読んだくらいでは理解しにくいものになってしまった。
こういった理由で、述べたい事柄のテーマを定めた“総括編”を立ち上げることとさせてもらいます。
最初のテーマは、進化のはじめ、生命の発現にかかわること、生体物質、そして霊の発現、霊の進化の仕組み、これらについて私見を述べることとします。
カテゴリーの分類としては「“ほんとう”の進化論」とさせてもらいます。