太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”

初めての方は、序文 https://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/entry/2016/10/03/185019 からお読みください。

自凝(おのころ)の強化 “その二十三” 日足(ひたり)の極性は“一”=智性=1番目のオーラの発現と強化に結び付く

今回はタイトル通り、日足(ひたり)の極性が人(日止、霊止)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)そのものである“一”=智性=1番目のオーラの発現と強化に結び付くことを述べますが、その前に先回使った画像の「下のエネルギーが上昇する様子」、これに相対する「心(靈)の動きが下降する様子」、これについて説明をします。

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まず、多くの人があまり気付いていませんが、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は人の心(靈)を育てている、そのために“上”の采配として様々な事象に遭遇させている。 その事象において人は“思惑の顕現”をする。 また、人には“幸福の概念”がある。 

それだからこそ“どういうつもり”で生き、何を成し遂げようとするか、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を付けてそれを示し、この世界で自分の欲するもの、(通貨としての)金、本能由来の欲望を満たしたい、形骸の地位と名誉、この形骸というのは“上”が評価するものではない、程度の低い人間が程度の低い人間を誉めそやしているという意味、換言すれば低い心(靈)由来の思惑の顕現、ということになり、これはたった今の成功者と評価されている人間に多いケースではある。

 

これらは右往左往と左往右往の右往の段階であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きでもあり、これ事態が先回も述べたとおり、2~3番目のオーラの拡大と強化になるが、“一”=智性=1番目のオーラの拡大と強化にはつながりにくい、あるいはまったくつながらないものである。 

 

さらにこの心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)など理解できない霊的存在、具体的には(通貨としての)金に執着する動物霊などがほとんどである。

 

 しかし進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)においては、この段階も必須であり、これ事態が自我の確立=固定化、自我の強化、ということになっていく。 

それでこの過程をある程度こなしたならば、“上”としてはその人間に成長のための試練として、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をさせる、ということをする。

 

前後しますが、右往左往の右往の段階は、低い心(靈)の動きであるし、こういった心(靈)の動きでは人間が神の思惑を認識して実現させなければならない“絶対の善”にはつながらない、また先回ローム太霊講話集から引用した

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち

この“神自身の本当の気持ち”を人間に実現させることにはなり得ないものである。

 

そして右往左往の右往の段階は、画像の「心(靈)の動きが下降する様子」心(靈)の動きが、本能、情動、功名心、自我、までであり、脳も目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)における心(靈)の動きである。

 

 これに相対し、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、この左往においては、自分がやってきたこと、その失敗自体を自我の日足(ひたり)の極性である“思う、憂う”ということをする、それはなぜ失敗したのか、何が間違っていたのか、などを鑑みるようになるが、このこと事態が左脳を使うことになり、左脳にたくさんの電流が流れ脳のタンパク質の高分子化も起き、目上(めうえ)の脳の水平磁場の強化になり、それが画像の「下のエネルギーが上昇する様子」ということになっていくものである。 

そして左往右往の左往、失敗を鑑みる、自省(胸の磁性“十”)する、これによって自分が今後、何を考え何を実現するか、自分の在り方を考えるようになっていき、この心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)には“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)するものである。 

大体ここまでが普通の人生においてほんの少しだけ“一”=智性=1番目のオーラが大きくなる過程で、それでも太陽凝視を行っていない人間の“一”=智性=1番目のオーラは、せいぜい2cmくらいまででしかないものです(これはアタシの観測結果)。

 

 さらに肉体はここまで述べてきたように1番目、2番目、3番目のオーラの発振、発信の構造の違いがあり、

画像の「下のエネルギーが上昇する様子」、この仕組みについて未刊行の著書の原稿<7>よりいかに抜粋させてもらいます。 智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現について以下の文章の下線を引いた部分に着目してください。

 

「神さんの思惑…創造を人に託しエネルギーを送っている。それは、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)として…そしてこの世界の創造=顕現は、人の仕事…使命……」

「うん。…そして今回Kellyが感じたように、創世の神話っていうのは心の動きのことをいっている。そして、物質世界=三次元の事象を認識しているのは、アタシたちの意識(日に立つ心(靈)を認識する)で、意識活動=認識=創造であること。それは電磁波の受発信と同義であること。そしてアタシたちの霊って呼ぶ何かは、心と同義であること。神のオーラ=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)とアタシたちの心(靈)との相互干渉であること。神のエネルギーを利用して取り込んでこの世界を創っていること。(それが靈って字に示されている…)その仕組みは“日月神示”のf:id:tuyukusanotuyu:20170125184223j:plainであること。人の肉体の中の磁性由来のローレンツ力だ。そして、アタシたちが…人が、良いカタチの想像をし=思い、思った事を顕現=実現し、行動に移し、そのこと自体を、“創造”を成すって認識できる。それは、天国とか…“善悪”(神格化&動物化=悪=亜の心=心の本能化)とか、いろんな話をしてきたんだが…アタシたちたちは時間を認識しながらこの世界に位置している。物質を伴いながらね。その物質の次元を“創造”する“力”が、腹の右往左往と左往右往、腹って位相の、水の中の荷電粒子の移動と増幅、それが、軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”だと思う。

そして腹のエネルギーは“いきり立つ心(奴と心)”と“思う、憂う”…その心の発現と動き。それは、本能って心の発現が…そのエネルギーが少し上昇した状態が、軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”。

さらにそれは上昇し、大日如来の条帛(じょうはく)のように、左肩から、左胸前、腹前を通って背面に回る。条帛(じょうはく)の先は、左乳前で下側を通り腰布の先端にかかる。しかしこれは衣を表現した言い方で、順序が逆だ。それはチャクラの覚醒と、(愛(炁)の顕現の程度で差を認識する)進化過程による心の発現の段階を示している。

そして、軍荼利明王って字を一つ一つ観ていくと、軍荼利明王の“軍”は、車に(冖)ワかんむりっていうのかな? これは冖部(べきぶ)ともいうらしいけど、(冖)の字は、布で物を覆うことを象徴していて、覆うことに関する事柄を示すらしい。これは横隔膜のことだと思う」

「なるほど…水の中=腹で右往左往するエネルギーを電気抵抗値の違うもので、覆ってるみたいなもんやな」

「そう、それはコンデンサー。特定の周波数しか通らない。コンデンサーは、電気を溜める性質を持っており、交流電流は通すが直流は通さない性質がある。コンデンサーとコイルは、周波数特性を持っており、高周波電流は伝えやすく、直流に近い低周波は伝えにくい性質がある」

「…それは、高い振動しか伝わっていかんってことでんな」

「そう。そしてその特定の振動がアムリタであり、そのことを示した言葉がクンダリーニでもあり、それを象徴的に示しているのが、Kellyが気がついた如来の条帛(じょうはく)でもあると思う。

そして、手足の神経は大体コイル状、サイクロトロンのための比較的安定した磁場を構成している。それに対し、頭と腹はコンデンサーの性質を持つ。それは、溜め込んだエネルギーを縦に循環させている。ただし、頭と腹とでは振動の種類が違う。どちらが高いかなんてのは一目瞭然だが、高い振動は低い振動を制御するって言えばいいのか…三次元の創造=腹の“力”の顕現は、神性で行われるべきだ」

「それが…そのこと自体が、人の肉体が、頭と腹を持っている理由ってことでんな」

「うん。頭だけでは…智性と神性だけでは、物質世界の創造はできない。“いきり立つ心(奴と心)”と“思う、憂う”…それがなくては、神の智慧(日を知ること=智性の恵み=慧)の顕現ができない。そして、人が顕現させなくてはいけないってことだ」

「それが翡翠(ヒスイ)の卆…最後の仕事ってことでんな。それも“日月神示”の“カイ(下の位相)の御用”…ほんでからに、水の中の右往左往と左往右往“櫂(かい)”の御用…の、意味かもしれませんな」

「そうだね…多分そうだ。そしてね、日月神示の中の表現として“江戸と尾張”…この言葉も頻繁に出てくるんだが、江戸は“江”と“戸”…“江”は大きい川の流れっていう意味があり、それは揚子江の“江”で使われる字でもある。腹の中の流れ=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”と同じ意味だろう。そして“戸”は、冖部(べきぶ)と同じ意味だと思う。横隔膜…電気抵抗値の違う組織だね。

そして“尾張”は、“尾”は尾骨、尾骨に眠るエネルギーがクンダリーニ、それを眠らしておくのではなく、張れってことだと思う。それは“力”の獲得のために頑張る…元を張る…そういう意味のことだと思うんだが……。さらに“日月神示”には“外国”って表現もあるが…これは外側の事象の観察だと思う。国っていう字は、囗(くにがまえ)に“玉(ぎょく)”…これは自分の場(フィールド)を表した言葉だ。だから自分の心の動きの“外”…“国”の外ってことだ。

だからそれは、この世界の創造は…物質世界の三次元の創造は“カイの御用”で、自分の外側=“外国”の創造で、それがアタシたちの神から託された仕事だからだ。

 

自凝(おのころ)の強化 “その二十二” 自我における日足(ひたり)の極性の発現

先回述べたとおり、肝=“いきり立つ心(奴と心)”、腹における心(靈)である自我の砌(みぎり)の極性で生業(なりわい)の“行”を頑張る(元の気を張る)のは、(通貨としての)金が得たい、名誉や名声を得たい、その裏には物質欲、本能由来の欲望(美食の賛美、性的な欲求)の達成などがあり、低い“幸福の概念”に由来することでもある。

 

これは人間として高い心(靈)で行動しているのではないし、これ自体が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の心(靈)の思惑の顕現、それは“どういうつもり”で事をなすのか、に相当することであり、この段階の生業(なりわい)の“行”は、人間が持つ自我よりも高い心(靈)の、智性(神性)、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、“創造”、“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する“厳しさ”、これらの獲得にはつながりにくいか、全くつながらないものである。

 

 こういった人間が大多数なのがたった今の地球の現状であり、この世界には奪い合いと騙しあいが横行しているが、それを容認している人が大多数なのが今の事象でもあるし、これを変えていくこと事態が、霊的成長度の高低における区分けであるアセンションの意義でもある。

 

 それで神は、人に奪い合いと騙しあいの世界の“創造”を望んでいるわけではないが、この奪い合いと騙しあいをしていかなければ、善と悪の認識(悟り、幸取=さとり)を確たるものとできない事情がある。

よって、この低い心(靈)の動きによる行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をある程度行わせるものである。 

 

また、このこと事態は、程度の低い者は程度の低いなにかを求め実現しようとして自分のエネルギーを贖う(あがなう)ということであり、平均的地球人の生業(なりわい)はこれがほとんどを占めているものである。

 

 しかしそれではローム太霊がローム霊訓講話において述べた(ローム太霊講話集第二話)、

 

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち”、

 

この“神自身の本当の気持ち”を人間に実現させることにはなり得ないものであり、奪い合って自分だけが得をするという心(靈)の動きはこの世界を崩壊させ最終的に殺し合いにしかなり得ないものであることを著書で述べましたが、これが右往左往と左往右往右往、“上”から観て腹における荷電粒子の右回転、それは砌(みぎり)の心(靈)の動きだけで行動していることに相当するものである。

 

 この右往だけでは心(靈)が育ったとはいえないから、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、生業(なりわい)において失敗させる、トラブルを経験させる、という試練を課すものである。

 

 その際には、自我における日足(ひたり)の極性、脾=“思う、憂う”が強まるので、“上”から観て腹における荷電粒子の回転は左回転となる。(左往) 

これに関しては“日月神示”を読んで気づいたことなので“日月神示”の表記の説明画像を以下に貼っておきます。

 

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 また全身においての日足と砌(ひたりとみぎり)の極性について“続”で使った画像を以下に貼っておきます。 (“日月神示”表記の“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道)

 

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 これに関してはこの文章を読んだだけで理解しにくいでしょうから具体例を一つ、スポーツ選手がよい結果を出している期間があってもその後スランプなどに陥る、この時のスポーツ選手の苦悩そのものがその人間の心(靈)を育てようとする“上”の課した試練であり、その苦悩があってこそ心(靈)は育ち、さらに良い成績を収める、あるいはスポーツ選手とは違う人生を歩む、という結果になる。

同様のこととして、例えば事業を起こし最初はうまくいっている

砌(みぎり)の“行”を“上”はさせているが、それはいつまでも続かず問題が起きたりして窮地に追い込まれる

“上”が試練を課して日足(ひたり)の極性の強化の“行”に入る

 

など、実際の事例に当てはめたらきりがないですが、何事も自分たちにとって都合の良いことばかり起きると言うことは続かず、必ず何かが起きて苦悩する。

これは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の采配として苦悩させるものであるが、この苦悩が日足(ひたり)の極性の強化となっているものであり、自我より“上”の心(靈)を育てようとする“上”の采配であるということになり得ます。

 

次回は、日足(ひたり)の極性による心(靈)の発現と変容について述べることとします。

自凝(おのころ)の強化 “その二十一” 砌(みぎり)の極性と生業の“行”(2~3番目のオーラの“行”)

先回述べたとおり、人には“幸福の概念”がある。

それゆえ人は“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を欲し、獲得して行使して“力”を示したい。 

 そのために自分は頑張る(元の気を張る)。 

それは霊的成長のための“行”ではなく、その前段階としての“業行”において頑張る(元の気を張る)、そして“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を獲得して、それを他者に示し行使して、その代償として、(通貨としての)金や権威や名誉などを求める。 

 

これは平均的地球人の霊的成長度、自我の確立=固定化、その過程においての心(靈)の動きであることを著書やブログで幾度も述べていますが、これ事態が“力”の使い方としては低い段階であり、これこそが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きによる“力”の使い方である。

そしてその心(靈)の動きは、肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、自我における砌(みぎり)の極性の現われである。

 

但しこの段階、自分が頑張ることにおいては、人間は動物と違い目上(めうえ)の脳が発達しているからこそ、善悪の考察というのは多少ある。

だがそれをあまり考えず、とにかく“力”を獲得し行使することを中心に生き、そこにおいて自分の損得を考える。 

これは自我の発達と強化のために、自分をこの世界、この事象、もうひとつ“日月神示”表記の“外国”において示したいものであるが、これは智性(神性)の獲得には直接つながらず、霊的成長度の低い“行”と言いうる。

そしてこの低い段階の“行”があってこそ、ローム太霊が述べた右往左往と左往右往、それは右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、ということになっていくのですが、この過程を経ていかなければ、“力”の使い方、それは“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)ではありますが、自分は“力”を獲得したならば、こう使わねば、“力”を持った人生においてこうしなければ、こう在らねば、という認識にはたどり着かない。

 

 前後しますが、この段階は“行”というよりも、修業や修行という言葉の方が適切。

しかし何かを求め頑張ることは、肉体内の生体内電流の強化と変容になり、それがオーラに反映し=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)となり、頑張る過程で心(靈)も育っていく。

 このことを述べた著書の<4>の文章を以下にコピペさせてもらいます。

 

“さて、オーラが大きくなるということがどういうことなのか、神経系の電流量が多くなると、骨と神経は電磁石だから磁場が大きくなる。神経に電流を流すことは、何かしなければならない。安静時でも、体の新陳代謝のために神経系には電流が流れているんだが、例えば、スポーツで筋肉使ったりすると、筋肉痛になるが、その時は、筋肉の細胞の新陳代謝が行われていて、使う前の筋肉より、レベルの高い細胞を創り出そうとしている。

 その過程で、神経系の電流を知覚神経が感じるから、痛みとして認識する。このことは言い換えれば、生体内電流の増幅と言える。筋肉や内臓は、蓄電池のように生体内電流を溜め込むことができる。溜め込んだ電流で、より以上に神経内の電流を多く流せる。肉体を使うときにね。そうして2、3番目のオーラの基底が構成されている。

すべての神経内の電流は、視床下部を通り脳に伝えられる。般若心経に対するアタシの私見で、羅、という字の説明したこと、思い出してね。視床下部を通り、脳に伝えられた電気的情報と、感情と思想、記憶など脳内の神経の働きで、1番目のオーラの基底が構成される。神経系に多くの電流を流し、オーラを大きくして、それに伴い肉体を作り変える事を、行、修行と呼ぶんだと思う。それが、アタシの修行の解釈(見え始めた日 参照)”

 

これに対しKellyさんはこうつぶやいています。

 

“先生の説明……“神経系に多くの電流を流し、オーラを大きくして、それに伴い肉体を作り変えることを、行、修行と呼ぶ”……この言い方は少し足りへん感じ…心が変わっていくやんか。それが霊的成長やし…ほんでからこの時点で、認識することについてはあんまりいうてない。

この時は多分、Kellyさんの認識の程度に合わせた話やったから、心身ともに作り変わる…そういう言い方をせ~へんかったんやろな。

それは、心の反映が肉体…こういう言葉の理解…Kellyさん自身の認識…そういう言葉に対する深い理解が、Kellyさんになかったからからやな。

ほんでからに、霊的成長=心の成長=認識の変容=電磁波の吸収=オーラの拡大と高振動化…こういう話を、この間うち聴いてたから、今ならこの先生の言い方と、行と修行…この言葉の意味も解る”

 

 それでタイトルの「砌(みぎり)の極性と生業の“行”(2~3番目のオーラの“行”)」この段階においての“上”からの振動の取り込みは、先にも少し述べましたが、智性(神性)の獲得には至らず、2~3番目のオーラを構成する振動を止め、それを発振、発信する。

この段階で“力”を示す、(通貨としての)金を儲け名誉や権威を獲得し物欲を満たす

低い幸福感を得る。

 

 しかしそれでは人間としては低いので、先に述べた右往左往と左往右往により、自分の在り方を考えるようになるが、これこそが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の采配と言え、人生における試練を“上”から与えられ苦痛や苦悩を体験し、そこで得られた教訓を活かす人生を送るようにとなる。

 こうして心(靈)は育っていき、智性(神性)を獲得する素地を得ていくものですし、その過程においては日足(ひたり)の極性の強化がある。

 次回は、日足(ひたり)の極性について述べることとします。

自凝(おのころ)の強化 “その二十” “行”の意義について簡単に

 

ここまで、きわめて下等な生物から人間までの進化を述べてきた理由は、肉体の発達、それに伴う心(靈)の進化、そこには生体内電流の強化と変容、磁束の発現と“上”からの振動を取り込むためのローレンツ力の強化と変容がある。

これらを理解しておかないと、“行”の意義ということに進めない。

 

それで“行”そのものに対することとして、これ事態は人間における認識であり、当然のことながら人間以下の動物に分ることではありません。

 

それで今“人間における認識”ということを述べましたが、なぜ人間が“行”に対する認識を持つか、それは人間、人(日止、霊止)が地球上において他の生物より最も進化した、地球上で一番“上”の生物であり、一番進化したからこそ

目上(めうえ)の脳の発達があったからこそ、神と自分、幸福の概念、善悪の認識と判別、など、発達した心(靈)所以の認識が出来上がったものであるし、重複しますがこれは目上(めうえ)の脳で発現する心(靈)、智性(神性)由来のことである。

 

この認識の中の“神と自分”、自分に対し神が“上”である、神に近付きたいと思う。 

そして“幸福の概念”があるからこそ、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を欲し、行使して“力”を示したい、その“力”の行使において“善悪の認識と判別”をしていくものであるし、これ事態が神に近付くこと、“善(神格化の方向性と智性の受信)”のためのことである。

 

簡単にまとめましたが、こういった事柄があるからこそ、人は“行”を求め実践するものである。

 

ただし、霊的成長度の低い心(靈)を持つ人間の“行”の概念はとても低いものであったりもします(例えば、当たり前の感謝、それ自体を“行”と称するなど、こんな認識では厳しい“行”には入れないものと推察します)。 

そして大多数の地球人の霊的成長度は低い、自分たちにとって都合の良いものばかりを選択する傾向がある、

よって一般の“行”の概念は、

“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち、それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))

らの行いにより、まったく程度の低いものになっている感があります。

 

 本題に戻り、何のための“行”なのか、それは“行”によって進化=霊的成長、神格化に向かうこと、これを実践し、“行”によって心(靈)が育ち、高い“行”をするならば(“一”=智性=1番目のオーラの“行”をするならば)“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を理解し、認識(悟り、幸取=さとり)として、それを行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に活かす。

換言すれば、神の思惑を理解して認識としてこの事象の“創造”を果たしていく。

これ自体“創造”の“主(ヌシ)”が“創造”した生命(生きる使命=存在理由)の役割、高い使命である。

 

この事を踏まえて次回から“上”と“下”の“行”について述べていくこととします。

自凝(おのころ)の強化 “その十九” 人(日止、霊止)における心(靈)と“一”=智性=1番目のオーラの発振、発信

 まず、ここまで述べてきたことと重複しますが、アタシの心(靈)に対する認識を以下に列挙します。

 

  • 心は霊である。
  • すべての生物は、心と肉体、この両方で現界において=三次元においての生命活動を行うものである。
  • 生きている間は肉体と心(靈)(の一部)は同じ位相に存在するが、死は肉体に心(靈)が存在しえない=肉体に位置できない状況を指す(生体内電流の消失)。
  • 肉体に心(靈)が発現する理由と根拠のひとつとして、肉体の磁束由来のローレンツ力がある。 
  • 肉体の磁束由来のローレンツ力で“上”からの振動を止め、溜めて、心(靈)は発現しており、肉体の進化に伴うローレンツ力の強化と変容は、心(靈)の構成要素としての“上”からの振動、肉体による磁束で“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これを取り込んで心(靈)を構成しているものである。またこれが古神道の表記、“日止、霊止”の意味である。
  • 霊は肉体の磁束で取り込んだ“上”からの振動、これを止め、 “臓腑”の“臓” などで溜めて、生命活動により増幅し、これを回転させ、円形粒子加速器サイクロトロンやシンクロトロン)の構造で発振、発信し、それが1番目、2番目、3番目のオーラである。
  • 東洋医学の概念、“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)は、心(靈)の動きの増幅器官である。
  • 霊が肉体に位置している間は、肉体の磁束由来のローレンツ力と、肉体に備わる水平磁場により回転しているが、これが、本来のヨガの概念、チャクラの意味である。
  • 生命活動は肉体内の電磁誘導になり、その電磁誘導で、タンパク質の高分子化が起き、それによってローレンツ力の強化と変容が起きているものである。
  • 地球上において最も心(靈)が進化した生物は人間であり、肉体の進化に伴い“上”からの振動の取り込みの段階が違うからこそ、下等な生物と高等な生物、という認識が出来上がっている。
  • 人間の心(靈)が地球上の生物で最も進化した理由は、目上(めうえ)の脳(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))で止めている“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これが智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)になっているからである。
  • 智性(神性)の行使は、脳のタンパク質の高分子化に繋がり、“上”からの振動のより高いものと感応していき、それによりますます智性(神性)は高まるものである。
  • 頭部と、脳は、コアメモリー(磁心記憶装置)の構造を持ち、これは心(靈)の動きそのものである。
  • 進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、肉体の変容に伴う心(靈)の進化、そして自分の心(靈)の智性(神性)の行使と、肉体のタンパク質の高分子化(“行”の意義)により、さらに“上”からの振動を取り込み、溜め、生命活動で増幅して発振、発信し、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に活かすが、これ自体が神に近付くことである。
  • “創造”の“主(ヌシ)”にとって生命(生きる使命=存在理由)とは、フラクタル(fractal)(自己相似性、相似象、自然界のデザインにはどこか共通したものがある)である。 ただし、たった今の地球人のフラクタルに対する認識は、形状に由来するものでしかなく、心(靈)が“創造”の“主(ヌシ)”とフラクタルであるという認識がない。
  • これは、この事象一切を構成する振動、それを取り込む心(靈)=個々の生命、という点でもフラクタルである(宇宙は巨大人の構想を持つ、というエマニエルスエーデンボルグとアタシ自身の認識)。
  • 個々の心(靈)自体は、“創造”の“主(ヌシ)”の心(靈)に包括されているからこそ、心(靈)の構成要素としての“上”からの振動の取り込みの高低があって“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象が認識されても、すべては“創造”の“主(ヌシ)”の心(靈)の内のことである。
  • 地球人が“観察と認識”しているたった今の事象は、“創造”の“主(ヌシ)”の腹の“行”、右往左往と左往右往の段階であり、その“上”、それは慈悲と慈愛の“行”に移行するが、これ自体がアセンションと認識されうることそのものである。

 

 大体、以上のようになります。

それで人間として最も進化した心(靈)の動き、これには脳における電磁誘導がある。

末梢の電流、五感による情報はすべて中枢に送られて、頭部内の電磁誘導に関与しますが、これ自体が外側(外国と幽界)の事象の“観察と認識”であり、それにより、脳を使う、記憶、思考、認知、などにより脳内に電流が流れ、脳内の電磁誘導になり新たな電流が派生し、それと“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めて溜めていることが加味されている。

これらで目上(めうえ)の脳内に流れる電流になっている。

それで目上(めうえ)の脳で発現する智性(神性)、これは“一”=智性=1番目のオーラになり、その仕組みは以下の画像のようになります。

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 この水平磁場により、“一”=智性=1番目のオーラが発振、発信されていますが、これは天使の輪のようにもなり、西遊記で示されている頭部の金色の輪のようにもなる。

 これを“上”に聞いたら金弧、という答えを得ましたが、緊箍児(きんこじ)、禁箍児(きんこじ)、金箍児(きんこじ)という表記が古典にあり、この表記の意味は自分を戒めるもの、ということで共通のようです。

 この自分を戒める、という心(靈)の動きそのものがたった今の地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に必須であることは幾度となく述べてきました。

 それと、人間が感じ得る最も高い振動、光、それは視神経を流れる電流となり、光を感じ(感じる磁性)て、目上(めうえ)の脳の直下の視神経内の電流量を増して脳のタンパク質の高分子化を励起するのが、太陽凝視です。

自凝(おのころ)の強化 “その十八” 肉体はコアメモリー(磁心記憶装置)の構造を持つ

 

 肉体の進化の過程は、まず地球上における生体物質の発生、そしてもっとも下等な生物である原核生物から人間までの進化であり、その過程では、 

  • 肉体の磁束の強化と変容、進化した生物は骨と神経の発現と発達があり、電磁石の構造の強化と変容になり、これらはローレンツ力の強化と変容となる。 またタンパク質の高分子化もローレンツ力の強化と変容に関わる。
  • “上”からの振動を止める仕組み、肉体はコンデンサーの構造を持つ、ことに“臓腑”の“臓”は心(靈)の動きに関わる。
  • 生体内電流の肉体内における電磁誘導、それは生命活動と生命維持活動によるもの。 生命活動とは生物、または生物における臓器や細胞などの組織が、生命を維持するために営む活動。 生命維持活動とは、生物が生きるために必要な、食事・睡眠などの行為、また、心臓の拍動・呼吸・筋収縮・消化・排泄などの生理機能の意。

 

これらが観られることを述べてきました。

 

 先回も述べましたが、進化の過程とは、霊的成長の過程であり、それは普遍的に実在する創造主のオーラ、これを進化した生命体である天体がそのローレンツ力によって取り込み増幅して発信している電磁波、さらにそれと“創造”の“主(ヌシ)”の振動、この両方を取り込んで発振、発信している地球における太陽、それら“上”の振動との感応共振の段階でもある。

 

その“創造”の“主(ヌシ)”のオーラ由来の振動は天意であり、生命を発現させて進化(霊的成長、神格化に向かうこと)させる思惑そのものであり、それを人間のつたない科学で観測すると電磁波と認識されうるものであるし、今の人間の科学では観測できない振動も、“上”“下”に関わらず存在すると思います。

 

これらの取り込み、そしてそれを肉体に止めて生体内電流とする。 それが心(靈)そのものである。

そして心(靈)の存在と活動は、肉体がコアメモリー(磁心記憶装置)の構造を持っているからであるという私見を持っております。

 

 用語解説 コアメモリーについてWikipediaから引用

 

 構造と記憶の原理 
 一般的な磁気コアメモリーについて、その構造と記憶の原理について説明する。

磁気コアメモリーは、小型のフェライト磁性体のリング(コアという)にケーブルが通されたものが、格子状に多数配置された構造になっている。 コアの一つが1ビットの記憶容量を持つ。 
 一つのコアに対しては、書き込み用ケーブル2本と読み出し用ケーブル1本が通っている。書き込み用ケーブルは格子状に配線され格子点にコアがある。 格子の縦横各1本の書き込み用ケーブルを指定すると、一つのコアが定まるわけである。これがビットアドレスの指定になる。 コアは1本の書き込み用ケーブルに電流を流しただけでは磁化しないが、2本に流せば磁化する磁気特性を持っている。

あるコアにデータを書き込むには、そのコアに対応する書き込み用ケーブル2本に電流を流して磁化させる。電流の方向によりコアの磁界の向きが決まり、それにより0か1のビット値が決まる。 なお、磁化されたコアは、電流が止まっても磁化した状態を保持するので不揮発性のメモリということができる。 
 あるコアのデータを読み出すには、そのコアに対応する書き込み用ケーブル2本に電流を流し、読み出し用ケーブルの電流を検知する。このとき現在のコアの磁界の向きが逆転するようであれば、読み出し用ケーブルに電流が流れる。 逆転しない場合は、読み出し用ケーブルに電流が流れない。 これによりコアのビット値が判明する。 しかし、データを読み出すときに、書き込み用ケーブル2本に電流を流すのでコアが磁化されてしまい、読み出し前の内容が失われてしまう(非破壊読み出しができない)。 このためコアの内容を保持したい場合は、再度、データ書き込みをしなくてはならない。


 引用終わり。 

 この説明では、生物の肉体がコアメモリーの構造を持つと言うことを説明するのには不十分なので、補足として、物質は電荷を持つから、リング状の組織の中心に電流が流れれば、それはコアメモリーと同様の働きをする。  

(学者は、強磁性体にしかコアメモリーの原理を見出せないし、大きな電気的変容にしか目が行かないのでこの事柄に気付いていない) 

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 コアメモリー(磁心記憶装置)の構造が観られる理解し易い組織としては骨格が挙げられます。 それは、すべての骨は骨の外側が灰分(かいぶん)であり、内側は磁性体を含んでいる骨髄があり、頭蓋骨においては磁性体を含んでいる脳がある。

 骨以外にも、磁性体を含んだ組織、筋肉や内臓など、リング状の器官はすべてコアメモリーの構造を持つと思え、最小のリング状の組織は、遺伝子だと思われます。

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 これらコアメモリーが、心(靈)の発現と動きに関わっているものであり、“上”からの振動を取り込んで心(靈)が作られ、自らの生命活動と生命維持活動により心(靈)を変容させ、さらに外側(外国と幽界)の事象からの振動を取り込んで進化しているのが生命である。  

 この外側(外国と幽界)の事象の振動に関しては、人間の進化した肉体の脊椎、 

  • 頸椎7個、これは光(可視光線)の波長、赤 橙 黄 緑 青 藍 紫に相当
  • 胸椎12個 これは音の振動、12音階
  • 腰椎5個 これは物質の構成要素としての五行、木火土金水 

これらの振動を止めているという私見を持っております。

 

 本題に戻り、“上”からの振動の取り込みの変容、取り込む振動の高振動化が進化過程であると言いうる。

 さらに、心(靈)の進化は、霊的成長であり神格化であり、目上(めうえ)の脳、大脳新皮質と頭蓋骨のコアメモリーの構造は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)に関わるものであり、それが人間と人間以下の生物の違い、心(靈)の発現と動きの違い、ということになり得ます。

 

自凝(おのころ)の強化 “その十七” 目上(めうえ)の脳の発達

 ここまで“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みとして、肉体の磁束の説明をしてきました。

 その“上”からの振動の高低により、下等な生物は低い本能しか発現していないが、生物は進化していくと“上”からの振動の取り込みもだんだん高い振動を取り込み、“臓腑”の“臓”に止めて溜め、心(靈)の発現をしていく、それは著書の<3>で述べたとおり、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動、である。

(ちなみに“五臓六腑”(ごぞうろっぷ)という概念がありますが、なぜ六臓ではないのかに関して、六番目の臓は脳であるという私見を持っております)

 これがアタシの思う進化の過程、それは霊的成長の過程であり、肉体と心(靈)が“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)して進化して、普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振をする、それが、下等な生物、高等な進化を果たした生物、という分類になっているものである。

 

 それで、動物以下の生物と人間の違い、人間においては目上(めうえ)の脳で、智性(神性)を発現させていくものである。 その智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現の要素として、

 

  • 末梢神経から脳に伝わってくる神経内の電流は、中枢としての脳幹や脳で電磁誘導を起こす
  • 体液(体内にあるすべての液体、血液・リンパ液・脳脊髄(のうせきずい)液など)が錯体であり、錯体は電荷を伴っているので全身で電磁誘導が起きているが、当然、脳でも電磁誘導が起きる
  • 血液は磁性体を多く含んでいるので、肉体、ことに手足はアンテナの構造を持ち、“上”からの振動を止めているが、それを磁性体で脳に運んでいる。 ちなみに血液の全身への血液の分配は、安静時、脳に約15%、冠状動脈に約5%、肝臓と消化管に25~30%、腎臓20~25%、骨格筋に15~20%、皮膚などに3~6%、その他の脂肪や骨に約5~10%で、器官、対、血液の配分比ということを考えれば、脳に来る血液は多い

 

これらのことが挙げられますが、目上(めうえ)の脳に対する影響として、眼球から視神経へ流れる電流の影響は大きいと思いますし、実はこれが太陽凝視の秘密でもあり、これによって脳のタンパク質の高分子化が起きているという私見を持っています。

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自凝(おのころ)の強化 “その十六” 頭部で発現する磁束 

 頭部における、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込み、その仕組みとして考えられることを画像で示します。

 

 まず、骨格による仕組み。

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 次に、脊髄(脊椎動物のもつ神経幹。脊椎の脊髄腔の中を通り、全身に枝を出す)と脳幹(延髄、橋、中脳)で発現する磁束。

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 次に、脳幹と大脳新皮質で発現する磁束。

 著書で述べたように、進化した生物である人間は、大脳新皮質(目上(めうえ)の脳)が大きくなっており、この左右に分かれる磁束で取り込む“上”からの振動が、人間という進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)において初めて発現する、智性(神性)という心(靈)の元であると考えられます。

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自凝(おのころ)の強化 “その十五” 頭部で止まる“上”からの振動

物質としての肉体の構成要素は、タンパク質、脂肪、体液などの水分、無機質(灰分(かいぶん))です。 

それでここまで、二~三番目のオーラの発振、発信のことを述べてきました。 

これを簡単にまとめると、三番目のオーラは腹腔内の内臓と体液で“上”からの振動を止めて回転させている。 二番目のオーラは胸腔内の内臓と呼吸による空気の貯留、そして肋骨などで、“上”からの振動を止め回転させている。

これに相対し、頭部の構成、先に述べたタンパク質、脂肪、体液、無機質(灰分(かいぶん))を腹腔と胸腔、これと比較するならば、無機質(灰分(かいぶん))が最も多い部分です。 解り易いので骨格図を以下に貼っておきます。

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また頭部にある脳や眼球を構成するタンパク質は、人体の中で最も高分子化したタンパク質で構成されています。

この腹腔、胸腔、頭部、を構成する構成要素の違いが、それぞれのオーラの元となり得るのですが、頭部、ことに脳に関しては複雑な磁束の発現があると思えます。 次回から脳で発現する磁束、アタシの仮説的な事を含め述べたいと思います。

 

自凝(おのころ)の強化 “その十四”胸腔内で止まる“上”からの振動と二番目のオーラの発振、発信

 さて、下等な生物から高等な生物への進化の過程では、魚類から少し進化して両生類(カエル、サンショウウオなど)となり、水中と陸上で生活するようになります。 

 その際の肉体の変化は、鰓(えら)による呼吸から呼吸器(肺や気管支など)の発達があり、たくさんの空気を取り込むようになっていきます。

 それで、“その十二” 腹腔内においての心(靈)の発現 においては、体液で止まる“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の説明をしました。 それは人間の腹腔内と軟体動物以下の進化の過程で止める“上”からの振動はほぼ同種のものであり、心(靈)の発現も低い振動しか止まっていないものであるし、下等な生物と高等な生物の共通の心(靈)は、本能である、その根拠となり得ることと言い得ます。 

 これに相対し、魚類より進化した生物の胸腔内には常に空気が留まっている、もうひとつ、胸郭を構成する肋骨や胸骨などの骨、灰分(かいぶん)があることが指摘でき、これは腹腔と胸腔では、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動の止まる種類が違うものであり、これを脊椎の縦の磁束で回転させている、画像で示します。

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  また両生類は魚類と違い、手(人間以外は前足と称するのが妥当)の発現があります。 それで胸腔内においても“その十三” 三番目のオーラの発振、発信 で足の磁場について述べたのと同様に、手と肩甲骨に水平の磁場が発生するものです。

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この磁場の影響を受け、胸腔内の荷電粒子の回転の速度が上がり、さらに先回説明したサイクロトロンに観られる回転の上下の回転の揺れは小さくなります。

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  これが先回同様、大ざっぱですが二番目のオーラの発振、発信の仕組みです。

 

 それで、今回説明したことは心(靈)の発現と同義ではない、二番目のオーラが大きければ“慈悲”と“慈愛”や自省(胸の磁性“十”)の心(靈)が豊かであるとはいえない、手の発現した生物にすべてこういった心(靈)の動きがあるわけでもなく、人間においても自我中心、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、こういった心(靈)の動きがあまりない。

 これに関しては脳、ことに目上(めうえ)の脳を巡る血液の磁性体としての影響がありますが、この詳細は後述することとします。

 

自凝(おのころ)の強化 “その十三”三番目のオーラの発振、発信

 今回は表題通り、三番目のオーラの発振、発信の仕組みについて述べます。 ちなみに三番目のオーラとは画像を見て理解してください。

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 また著書で述べた基底のオーラが観えていない霊能力者などは、オーラが全く見えていないインチキ、あるいは霊眼(れいがん、憑き物の視覚を共有し、人の目の機能が感じ(感じる磁性)る可視光線以外の電磁波を感じ(感じる磁性)こと)の発現が低い段階であることを述べておきます。 

 

先回述べた腹腔内における心(靈)の発現、それは“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動を“臓腑”の“臓”で止めて溜め、それを肉体が持つ縦の磁束で回転させている。

その“臓”は、人間が進化した左右相称動物なので、同じような組織の“臓”が、左右に同位相で存在し、さらにそれぞれの“臓”は、内容(タンパク質の構成、含まれている灰分(かいぶん)の違いなど)が微妙に違うものであり、これは“上”からの振動との感応、取り込んでいる振動の違いによる心(靈)の動きに違い、と言いうることである。

ちなみに腹腔内の左右相称で同位相の臓器は、肝臓と脾臓(肝臓と脾臓はほぼ同じ組織で構成されている)、腎臓、副腎、生殖器官、男性においては睾丸や精巣など、女性においては、卵巣および子宮付属器官などで、これらの臓器が“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めて溜めているものである。

 

 さて、進化した脊椎動物は発達した手足を持っています。 手と足の骨格図をみると、手首から先、足首から先の骨は、小さいことが分ります。

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 手のひらと足の裏、そして指は、前腕と上腕、下腿と大腿部に比べ感覚が敏感です。 これは、指と手のひら、足の裏が、前腕と上腕、下腿と大腿部よりも末梢神経が密になっていることによります。

 また、手足は、電磁石の構造を持っております。 手足の末梢神経に電流が流れる、これはコイルに等しく、骨は、磁性体となりうる無機質が含まれており、さらに骨髄中には磁性体である鉄分子を含むヘモグロビンが大量に存在している(そのため骨髄は赤く見える)ので、電磁石の芯(コア)に相当します。

手足を電磁石の構造として観るならば、指先と手のひらと足の裏を構成する骨と神経は電磁石としてはコイルの巻き数が多いので、前腕と上腕、下腿と大腿部よりも強い磁束を発現します。 

今回は三番目のオーラの発振、発信の説明なので、足先から腹部までの磁束の発現を画像で以下に示します。

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 それで腹腔内においては以下の画像のような磁場が発現します。

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 この骨盤由来の水平の磁場により、腹腔内の荷電粒子の回転に影響を与え、回転速度と水平の磁場に近付く回転となり得ます。

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 これは円形粒子加速器の構造として、サイクロトロンからシンクロトロンに近くなると言え、そこで発信される電磁波も、足から下の磁場の強化によりより強く発信されるものである。

 これが、やや大ざっぱな説明ではありますが、三番目のオーラの発振、発信となるものです。

 シンクロトロンについて、未刊行の著書の<6>の 思惑と顕現“その四” “慈悲”…いつくしみ…かなしむ よりいかに抜粋してコピペしておきます。 今回述べたことと重複していますが、これを書いていた時にまだ水平磁場という言葉自体がなかったようなので、そういう表現がないことをお断りしておきます。

 

「手足の神経と骨で構成された電磁石が、左右の磁場を構成するのなら、構成してるのに決まっているのだけれど、手足に向かっている脊椎の神経が構成するサイクロトロンは、この間Kellyが調べたみたいに理想のサイクロトロンの構成になる」

「手足の骨と神経でできてる磁場は、安定してるってことでっか?」

「いや…手足の磁場の安定に関わっているのは筋肉の一次緊張だと思うんだよ。筋肉自体がコンデンサーの役割を持っている…バッテリーみたいなもんだから、それはいつも使うことによって帯電し…言い換えれば、充電されて必要なときに放電するんだが…だから、手足の筋肉は、サイクロトロン自体を安定した磁場で構成し、さらに高い荷電粒子の回転を高めるし…エネルギーの増幅を見込める。そのために手足があると思う。そして今、手足の話に限局した話をしているんだが……」

「???」(なんか他にも言いたそうな言い方やな…多分先生としての仮説的なことなんやな…)

「円形粒子加速器の構造として、左右の磁場を強くし、周波数も変えて加速する粒子の軌道半径を一定にする…それは、シンクロトロンに近くなる。

そして、そのアタシの仮説の補足説明として、手足は、先に向かうほど小さな骨で構成されている。そして指に近くなるほど筋肉量は少ない」

「なるほど…その逆に指先ほど感覚を感じる神経はたくさんあるってことでんな。いつやったか先生に指先に鍼をうってもろた時、凄く痛かった覚えがありまっせ!!」

「…それはスマンかったのう…」

「そやからそれは、神経としては指先に向かうほど密になる…動物の手足は指の発達があんまりない……」

「そう…よく気が付いたね。

手先、足先は、先に行くにしたがって電気特性が違うってことだよ。それをその発想を応用して、太陽凝視を教えてくれたKさんが考案したのが、電気行だよ。

でも、電気行の具体的なことは説明しないからね」(公開しないってこと)

自凝(おのころ)の強化 “その十二”腹腔内においての心(靈)の発現

 ここまで取り上げてきている生物の進化を大ざっぱに振り返れば、単細胞生物 → 多細胞生物の軟体動物 → 脊索の発現 → 脊索から脊椎への進化 です。

 

 下等な進化の段階である軟体動物は、骨を持っておらず神経系も未熟であるので、脊椎や手足の骨、大脳などの進化した中枢神経系を持った動物よりは、灰分(かいぶん)が少ない。

 これは、肉体の中には磁性体が少ない、ということが指摘できます。 

それは、脊索の発現以前の進化過程、軟体動物より“下”の進化の段階の生物は、ほとんど体液だけで体を構成しているということです。

 

(進化過程とは、霊的成長の過程であり、普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階である、と定義づけております)

 

 この段階の心(靈)の発現、それによる行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、自己保存や繁殖、捕食など、程度の低い本能、というでしかない、それは、アタシが著書の<3>で定義づけた、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動、これは“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の取り込みの段階、“上”の振動との感応、という要素があるから心(靈)が発現するのだ、と述べましたが、軟体動物は肉体を構成する要素が体液中心であり、体液中心の肉体が“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意と感応して発現する心(靈)は、非常に程度の低い本能である、ということが言い得ます。

 

 それで、人間の肉体には当然体液もあり、人間において体液が一番多い部位は、腹腔内である。 

 さらに、人間の腹腔内には進化した“臓腑”の“臓”がある。 

 “臓腑”の“臓”には磁性体もあり、同位相の磁石としても機能しており、もう一つ、コンデンサーとして“上”からの振動を止め、溜める機能もしている。 

 これは脊椎動物すべて(魚類、鳥類、両生類、爬虫類、哺乳類)に当てはまることであると思いますし、このこと事態が脊索の発現以前の“上”からの振動との感応とは違い、“臓腑”の“臓”で止まる“上”からの振動は、本能よりも“上”の心(靈)の発現、本能、情動、自我、の発現となっていくものである。 よって脊索の発現より以前の進化過程においては、情動や自我という心(靈)の動きがないと言い得ます。

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 この腹腔内における“上”からの振動の取り込み、それを回転させる仕組みを次回説明します。

 

自凝(おのころ)の強化 “その十二”“臓腑”の“臓”が左右相称である理由

 肉体を構成している生体物質は、物質であるがゆえに電荷をもっています。 

 また、ここまで取り上げてきている“臓腑”の“臓”は、当然のことながら電荷を持っている生体物質で構成されていますが、磁性体を多量に含んでいます。

 

 用語解説 磁性体

磁性を帯びる事が可能な物質。専門的には反磁性体・常磁性体・強磁性体の3つに分けられる。すべての物質が電荷を持つがゆえに磁性体であるといえるが、普通は強磁性体のみを磁性体と呼ぶ。比較的簡単に磁極が消えたり反転してしまう磁性体は軟質磁性体と呼ばれ、そうでない磁性体は硬質磁性体と呼ばれる。代表的な磁性体に酸化鉄・酸化クロム・コバルト・フェライトなどがある。

 

 東洋医学の“五臓”、心・肺・脾・肝・腎は、肺は左右に二つ、肝臓と脾臓は組織の構成がほぼ同じ、腎臓も左右に二つ、これらはコンデンサーの構造を持っている。 また、脾臓、肝臓、腎臓、肺には、血液が流れ込んでおり、血液は錯体であるヘモグロビンを含んでおり、ヘモグロビン自体が酸化鉄を持っているので磁性体である。

 それで心臓は一つですが、左心房左心室、右心房右心室、で左右に分かれ、それぞれに前身の血管が左右に分かれて繋がっていますし、心臓に繋がっている血管系は、ほぼ左右相称で全身を巡っているので、全身の血管がコンデンサーの構造を持っていると言い得ます。

 静脈血は上下大静脈から右心房に流れ込み、右心房の血液は右心室から肺動脈を通り肺で酸素を取り込む。その後左右の肺から肺静脈を経て左心房に入り、僧房弁を通って左心室に送られ、酸素を含んだ血液を大動脈を介して全身に送る) 

 

 よって“五臓”、心・肺・脾・肝・腎は、左右に磁性体が存在する状況になっていると言え、またそれぞれの位置する場所も、ほぼ同位相である。

この“臓腑”の“臓”の磁性体が磁気を帯びることにより、脊椎を真ん中として左右に磁場が生じます。 脊椎(骨)と脊髄(中枢神経、神経幹)は、多量の灰分(かいぶん)(Ca(カルシウム)P(リン)Mg(マグネシウム)K(カリウム) 微量のAl(アルミニウム)Fe(鉄)Zn(亜鉛)Si(珪素)Na(ナトリウム)それらの化合物)で構成されており、脊椎の周りには脊椎神経があり、これは電磁石の構造で、脊椎は電磁石の芯(コア)で、神経は常に電流が流れているのでコイルに相当します。

 

 用語解説 電磁石

磁性体で構成された物質を芯(コア)として、そのまわりにコイルを巻き、通電することによって磁力を発生させる磁石である。

 

 この脊椎による大きな電磁石の仕組みが、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これをローレンツ力で引き寄せ、荷電粒子は回転を始め、これそのものが霊であり心である。

 どんな下等な生物であっても、人間であっても、この縦の磁性は心(靈)の発現になっていることはすでに述べました。(自凝(おのころ)による霊の発現)

 進化した動物の“臓腑”の“臓”は、この荷電粒子の回転を、脊椎(|、たてぼう、こん、縦の磁性)に対し、左右、水平に磁場を生じて円形粒子加速機であるサイクロトロンの構造を持つものである。

 これを未刊行の著書の原稿<6>の 思惑と顕現“その三” 同位相の右往左往と左往右往…サイクロトロン で述べましたので、以下にコピペしておきます。 

 

 

さてと…この間の話のサイクロトロンっちゅうのんは、粒子加速器ってことなんや…ほんでからに、荷電粒子は磁場の中を直進しない…ローレンツ力…それは磁場の発生があるから…荷電粒子を加速させる…そして高エネルギーを得る。

そやからそれは、磁場が荷電粒子の軌道に影響を与える。それが、ローレンツ力なんやな。

ほんでからに、荷電粒子っちゅうのんは電荷を帯びた粒子のこと。そやから荷電粒子っていうんや。当たり前やけど……。それと荷電粒子は、イオン化した原子、電荷を持った素粒子のこと…いろいろあるな。そのうちのイオンっちゅんのんは…陽イオンは、電子を放出して正の電荷を帯びた原子、あるいは原子団を、陽イオン、カチオン(cation)と呼ぶ。

金属イオンはすべて陽イオン…ほんでからに、陰イオン…電子を受け取って負の電荷を帯びた原子、あるいは原子団を、陰イオン、アニオン (anion) と呼ぶ。ハロゲンはすべて陰イオン…ハロゲンっちゅうのんは…フッ素(F)、塩素(Cl)、臭素(Br)、ヨウ素(I)、アスタチン(At)…そのうちのフッ素、塩素、臭素ヨウ素は性質がよく似ており、アルカリ金属、または、アルカリ土類金属と典型的な塩(えん)を形成する。塩(えん)っちゅうのんは、基本的な物質の分類の一つって、昔に習ったな。確か…酸と塩基…中和反応…ほんでからに水もできる。ほんでからに、アルカリ土類金属っちゅうのんは、カルシウム(Ca)、ストロンチウム(Sr)、バリウム(Ba)、ラジウム(Ra)…ほんでからに、こんな記事もあったな。…以前は、第2族元素全体をアルカリ土類金属と呼んでいたが、現在は、ベリリウムBeとマグネシウムMgは含めない。ほんでからに、フッ素、塩素、臭素ヨウ素金属元素と典型的な塩をつくりやすい。性質は互いに類似しており、沸点、融点、比重などはフッ素からヨウ素へと大きくなる一方、電気陰性度は原子量の増加とともに減る。

…難しいな。

…ほんでからにイオンの種類として、単原子イオン…一つの原子からなる。多原子イオン…複数の原子団からなる。錯イオン…電子を放出したり受け取ったりして、正または負の電荷を帯びた錯体を、錯イオンと呼ぶ。フ~~ン……。

ほんでからに、錯体っちゅうのんは、ヘモグロビン(血色素)やクロロフィル葉緑素)…そういうもんもそうなんやな。

要は何でも電荷を持ってるってことやな。

ほんでからに、荷電粒子にいろんな分類があるのは、大きさの違いみたいなもんやな。

ほんでからに、放射線の中でも、α線β線、これも荷電粒子なんやな。そやから宇宙線…先生は創造主の根源の振動って言い方してはったけど、その中にも荷電粒子はある。

ほんでからに宇宙線は、太陽の影響を受けて地球に届いてるもんもある。それは前にKellyさんが検索した。(霊的干渉“目上(めうえ)と目下(めした)”“その五” 参照)

そやから…太陽の影響を受けた宇宙線って言うのんは、太陽の“上”から降り注がれた電磁波=思惑を取り込んで、太陽自身が発振、発信している太陽の思惑ってことやろな。

そやけど…すごいこと考えてしもたな。

ほんでからに…ローレンツ力は、磁界中を運動する荷電粒子が受ける力。荷電粒子…電荷を持った粒子が、磁場…磁力線を横切るように運動すると、電荷の運動方向と磁場との両方に、それはそれぞれに対し垂直な方向に力を受ける。ほんでからにモーターなんか…ローレンツ力を利用した道具…そうなんや……。

そやけど…こういう検索をしてると、ただ単に電気や物理の知識ってこととしか思わへんけど…先生の言いたいことは、愛(炁)…究極微粒子…亜…先生が去年の正月に言うてはったこと…(おめでとう 天の御目の大神 参照)…“唯一の存在、たった一つのもの、たった一つの意識、一番初めの状態を【亜】と呼んで、それが出る(いづる)こと、泉のようにわき出ることを、あ、い、【愛】とよぶ。愛の、一つの言い方だと思うよ。意識も、心も、感情も、感覚も、愛の顕れだと思う”……思い出してしもたやん。

神の思惑の低振動化…電磁波…科学にそういう視点がない。

そういう言い方をこの間も先生はしてはったし…今まで何回もそういう言い方をしてはった。

ほんでからにすべての事象は、荷電粒子と電気的に中性の粒子…それによってできてる。そやからそれは、電荷を帯びている何かですべての事象は構成されているとも言えることやな。

そして、その変化を表したことの一つが、ローレンツ力とも言えるんやな。

ほんでからに、電荷を帯びているものやからこそ、磁場の発生がある。磁界は、磁石の周りだけでなく、電流が流れているもののまわりに、必ず発生する。それは…普通の認識として、磁石に鉄がくっつくってこと位しか磁場に対しての認識がないから、気が付かへんのやろけど…すべての事象が、荷電粒子と電気的に中性の粒子でできてはるんなら、物が…物質の構成ってことが、電界と磁場で行われている…そうも言えるんやないかな……。

ほんでからに、究極微粒子の低振動化…それが物質として観察できる。人の心はそういう認識をしてる…物質の振動を物質として心(靈)で感じ(感じる磁性)てて、それは、受信して認識してるってことやな。

ほんでからに電界と磁場…そやからそれは、引き付けあったりして、反発しあったりして、変化して、それが低振動化になるんやないやろか……。

ほんでからにそこには、粒子加速器のように荷電粒子の軌道の変化も起きる…ほんでからに、荷電粒子が磁場の影響で力を受け、加速されて、新たなエネルギーを出していく。

そやから、サイクロトロン…円形粒子加速器。こういうもんのようにエネルギーを出させる…そういう仮説も成り立つんやないやろか。

それは、サイクロトロンという大きな機械…大きな規模でしか学者は気が付いてない。そやからそれは、エネルギーを取り出すためのサイクロトロンとしてしか考えてない。

さっき思うたみたいにすべての事象に、磁場と電界が観察されるんやったなら、それは、粒子加速器としての構造がある…そうとも言えるんやろし…そやからそれは、事象を観察する視野が狭い…そやから、学者さんはそういう視点を持てへんのやな。

ほんでからに、すべての事象に電界と磁界があって、そこに神さんの思惑とも言える電磁波が注がれたなら、磁場があるからローレンツ力もあって、粒子加速器としての構造もできていく…それが…発振、発信と違うんやろか……。

しかし、すごいこと思うてしもたけど……多分…今、思うた通りのことやろな……。

ほんでから…今までの検索で知ったことと、今、私が考えたこと…これは、まったく、車輪とか回転とかの意味があるとされているチャクラって感じやな。

ほんでからに、サイクロトロンの解説にあったこととして…粒子加速器の中でも、磁場を用いて荷電粒子に円形の軌道を描かせて加速する加速器のうち、磁場が時間的に変化しないものを、サイクロトロン(cyclotron)と呼ぶ。

この…磁場が時間的に変化しない…それは、一様な磁場では粒子の運動エネルギーに関係なく、一定の角速度で粒子は回転する…ほんでからに、サイクロトロンは、粒子の回転周波数に応じた電場により加速して、高エネルギーの粒子を得る装置…ただし、その粒子のエネルギーが大きくなると、粒子の質量が大きくなり、回転周波数が変化する。その結果、加速ができなくなる。

そして、粒子が完全にいつも磁場と垂直の速度を持つことはありえない。

そのため、磁場と垂直でない回転は、螺旋運動が発生する。そういう点で、実際のサイクロトロンでは、完全に一様な磁場を用いるのではなく、少し変化させて上下方向に安定な運動するようにしている。

…そやけどそれは、磁場と回転を真横から見て上下に幅があるってことやん…そやから…実際のサイクロトロンっていうても、それは、純粋に円形加速器ではない。

そういう言い方もできるんやないんかな…真上から見たら円を描いてるんやろけど…それは、磁場を変化させて螺旋運動を防いでるんやから…そやからそれは、螺旋運動で上下に行かんように、磁場で調節してる。放っといたら上か下にいってしまいよるやんか。

そやから…加速器として、粒子が平面に円形を描くってことは…チャクラ…車輪…そういう意味なんやろな。

ほんでからに、先生が言うてはる事…神…示すと呂…陰陽対極図…それは、エネルギーの回転を示す…ほんでからにこの間先生と話した“日月神示”のf:id:tuyukusanotuyu:20170125184223j:plain…この図っていうのか…字っていうのか…それは神さんの思惑=荷電粒子の通り道みたいなもんやな。

ほんでからに、サイクロトロン……磁場が一様でないってことを考えれば…粒子の回転は螺旋運動になっていく。

仮に、螺旋運動を助長しようと思うたなら、それは一様の磁場でなければいいってことや。

もしそうやったなら、螺旋運動は真横から見て、もっと上下になる。そやからそれは、チャクラの覚醒が下から上にいく……そやからそれは、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ……さらにその上のチャクラの覚醒…そういうことやないやろか……。

そやからこそ、人(日止、霊止)の体の構造ってことを考えてしまう…多分…鉄分子を含んでる組織っていうのは体中にある。ほんでからに、鉄分子を持っている血液も体中を循環してる。(ヘモグロビンのこと)

そして、神経に電流が流れれば、神経がコイル状になってるとか…電流が流れる方向とか…それによって、電界や磁界が発生する…ほんでからに…そこには…電磁誘導も起きる。

そやから、心臓が血液を送り出してることそのものが、全身でいろんな電気的な現象を起こしてるとも言えるやろし…ヘモグロビンは身体内に荷電粒子が通るっていうのんか…神経に電流が流れるっていうのんか…そういう、いろんなことで、錯体…錯イオンになるんやろな。 

大体、血液とイオンのことはいろいろ言われてる…そやけど…ヘモグロビンの移動が電磁誘導を起こす…ほんでからに、電磁誘導も起きる。そういうことは言えるやろし……。

ほんでからに…この間の話、人(日止、霊止)は、神さんの思惑とも言える高い波長の電磁波を取り込んでる。

それは、“上”から“下”の思惑…そして心の発現の“上”“下”…“目上(めうえ)と目下(めした)”…ほんでからにそれは、進化=霊的成長…言い換えれば、本能から智性…動物から人…人(日止、霊止)の神格化ってことや。

神さんの思惑…その通り道…“日月神示”のf:id:tuyukusanotuyu:20170125184223j:plain…ほんでからに、身体内の鉄分子が、先生の主護霊はんの言葉…“”…S極とN極…電磁石の働きを持って磁場を構成する。

ほんでからにその電磁石は、神経に電流が流れんと磁性を持たへん。そやからそれは“行と修行”… “苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん”…ローム太霊さんの言葉…頑張って(元の気を張って)苦痛に耐えることでもあるやろし…そして“行と修行”をするってのは、何かを求める思いとも言えることやろし…自分がどうなるか…どうなっていくのか…どういうことをしたいのか…どう生きたいのか…それはいろんな思いで実現したくて…実現したいってことは、自分が感じられる事象にするってことや。

そやからこそ…頑張る。…“粘りとやせ我慢”…これもローム太霊さんの言葉。

粘り=根張り…“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子が持つ磁性…そういうことやろし…粘らんとたくさんの電流が流れへんってことや。我慢せんと電流の増幅ができへんってことや。そやから…そやからこそ、頑張らんとアカンってことや。

そこに“行と修行”の意味と、意義があるんやな。そやからそれは、霊的成長になっていくために生体内電流の量と質を高めたり増やしたり…それが大事ってことや。

ほんでから“悪”の思いで電流を流せば…発振、発信すれば、そういう存在の憑依、感応共振もあるやろし…そやけどそれも、力の顕現ってことになる。その“悪”の心に応じた“術”…霊的干渉としての“術”…それも獲得できるやろ。

この間も、自分が頑張った結果の霊的干渉に付いて考えたし…それが良いのか悪いのか…どういう結果になるのか…決めるのは自分自身やろし…結果に付いても責任を負わんとアカン…それも贖う(あがなう)ってことやな。

そやから…悪魔なんて概念を、人(日止、霊止)は持ってるんやろな。それも、“上”からの通信を受けるってことなんやろけど。

“行と修行”…それ以外にも神経に電流が流れることはあるやろけど…筋肉を動かしたりするのは、神経に脳からの電流が流れるからや…そやから、なんか考えたり思ったりするのも、なんか感じたりするのも、全身の神経に電流が流れる…そういうことやろし……とにかく、いろんな体の働きで神経にはいろんな電流が流れてるし、それによってできてる身体磁場…それが神さんの思惑=電磁波と反応する。

凄く複雑な構造をしてるんやな…人の体ってのは……。

自凝(おのころ)の強化 “その十一” “臓”の進化

 先回取り上げた“臓腑”の“臓”は、

 

  •  電気容量を持っている。
  •  電気容量があるからこそ“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を溜めておく部位でもある (コンデンサーの構造)

 

 これらのことから鑑みて、生物が進化していくに伴い起きている内臓の発達と“臓”を構成しているタンパク質の高分子化、これによって“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の取り込みも変容すると言い得ます。

 

 換言すれば、下等な生物は、“上”からの振動の低いものしか取り込んでいないからこそ(感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅))程度の低い本能という心(靈)しか発現していない。

 これに相対し、高等な生物である人間は、下等な生物より進化した“臓”を持っているので、先回紹介した東洋医学の概念、“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)は、心=“喜び”、肺=“悲しみ”、脾=“思う、憂う”、肝=“いきり立つ心(奴と心)”、腎=“恐れ”(本能)、という心(靈)の動きがあるものである。

 

 そして“臓”が取り込んだ“上”からの振動と、生命活動により溜まる電流、これは脊髄神経を介して、脳に送られる、この電流が送られること事態も脳のタンパク質の高分子化に関わっていると思えますし、これが先回紹介した三焦の画像の “髄海”、これは目から上の頭部に描かれていますが、この命名の由来の根拠であると言い得ます。

 

 それで、著書の<3>で定義づけた心(靈)の発現と動き、それは、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、ですが、人間しか持ちえない心(靈)の動きは智慧と智性(神性)であり、これは目上(めうえ)の脳、大脳新皮質で発現し、目上(めうえ)の脳の進化は神格化へのプロセスであるということを述べました。

 それは“上”から注がれる振動、天意、この振動の高いものを止める(感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅))部分が目上(めうえ)の脳であり、それだからこそ人間より下等な生物は、体の大きさと目上(めうえ)の脳の比率が人間よりも小さいものである。(※ これは一部の人が高等な知性を持っていると憶測しているクジラやイルカも含みます)

 

 それで私的には、東洋医学の“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)は振動を蔵する器官であり、最も高い振動を蔵するのは脳ではあるのですが、智性(神性)はこの心(靈)の動き自体で自分の心(靈)の進化を促すものであり、その意があるから、ただ振動を蔵するという意味合いではないので、“五臓六腑”(ごぞうろっぷ)に相対し、六臓、とは称されていないという私見を持っております。

 本題に戻り、“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)の発達、“臓”のタンパク質の高分子化は、物質の取り込み=捕食、空気の取り込み=呼吸、そして物質と空気を循環させて(肺と心)全身に電磁誘導を起こしている、これらによって行われ、これを“腑”の電磁誘導と定義付けていますが、脳、ことに目上(めうえ)の脳は“五臓”を発達させるのとは違う種類の異物の取り込み(“腑”の電磁誘導)をする、それは眼球から可視光線可視光線以外の高い振動とも反応しますが)を取り込み、それが生体内電流に変換され脳に伝わっているものである。

 そして、今述べた眼球から脳に伝わっている生体内電流、これは太陽凝視の意義につながることでもあります。

自凝(おのころ)の強化 “その十” “臓腑”の発現

 先回取り上げた脊索から脊椎への進化、これは骨量の増大による縦の磁束の強化でもあるのですが、骨の発生が観られない(“その七”で取りあげた)下等な左右相称動物は内臓の発達が未熟です。

 

 具体的には、下等な左右相称動物は循環器官や呼吸器官の発達が観られず血管やえらがないので、体に栄養や酸素を運ぶには物理的な拡散に頼っている状況であり、消化系は先端の口から後端の肛門までほぼ直線的、あるいは無体腔動物と呼ばれる分類では腸管は袋状で、出入口が一緒で口と肛門が同じ、さらに無腸類と呼ばれる分類では消化管は腔所として存在せず、多核で細胞の区別がない合胞体になっている体内に食物を取り込み、細胞内消化をする、というような段階です。

 

 これに相対し脊椎が発現した動物には、内臓が発現します。 

 表題の“臓腑”の概念は、東洋医学のもので、“五臓六腑”(ごぞうろっぷ)、“五臓”は、心・肺・脾・肝・腎、“六腑”は、小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦 、と定義づけられています。

 “五臓”は、心臓を除いて、左右相称であり〈肝臓と脾臓は組織がほぼ同じ〉、“六腑”は、消化と排泄と呼吸における電磁誘導で生体内電流が溜まる部位であると解釈しております。

 

これら“臓腑”の発現は、

 

  •  生物一個体の大きさの変容、コンデンサーとしての容量の増大
  •  消化器官の発達、異物の取り込みによる電磁誘導
  •  呼吸器の発達、空気の取り込みによる電磁誘導
  •  循環器官の発達、錯体を含む血液やリンパ液など体液が流れることによる電磁誘導(おもにヘモグロビン、錯体によるもの)
  •  筋肉を使い動くと電流が派生する(これも鉄原子を含む生体内錯体(ヘモグロビン、ミオグロビン)によるもの)
  •  神経系の発達で神経に電流が流れる

 

これらの要因と、脊索から脊椎への縦の磁束の強化により“上”の振動の取り込みが強まり、取り込む振動の種類も変容して、タンパク質の高分子化がおきて、進化した肉体になっていくものである。

 

そして東洋医学では“臓”について、

心=“喜び”

肺=“悲しみ”

脾=“思う、憂う”

肝=“いきり立つ心(奴と心)”

腎=“恐れ”(本能)

と定義付けられています。

 

 これら下等な左右相称動物には見られない心(靈)の発現と動きが“臓”の発現とともにあるものであり、これは“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これを肉体の意がある月部(げつぶ、にくづき)に蔵す、これが“臓”の意味合いであると解釈しております。

 そして“腑”は、“その四”で取りあげた、生命活動、生命維持活動、これによって生体内電流が発現する、これも肉体(月(ツキ))の進化に必須の要綱であると言い得ます。

 

 それで“日月神示”表記の肉体(月(ツキ))、カタカナのツキの言霊は、

 

“ツ”はつづまる(約まる)集う(つどう) 物をまとめ次々その形を変えて次なる新たななる生命を咲かすの意

 

“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし

 

ですので、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意=“キ”、これを物質としての肉体の磁性で集約し=“ツ”、この事象において「生命を咲かす」=進化していくものである、の意があると思え、“臓腑”の発現と進化は、“上”からの振動の取り込みの強化と、タンパク質の高分子化により肉体の電気特性の変容があるからこそ、取り込む振動の高振動化が起きていくものです。

 

 補足として児玉療院のホームページで述べた「三焦の私見」を以下にコピペしておきます

 

三焦は、上焦、中焦、下焦、と言い表されています。 

東洋医学の概念の“臓腑”の腑は、“六腑”(小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦 )とされていますが、三焦というのは、現時点、特定の内臓に当てはめて考えられていないし、解剖学的に見ても、特定の臓器に当てはめること事態が無理があると思われます。 

上記の十四系発揮からの引用の図では、中焦以下の“腑”は、主に、横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)から“下”であり、東洋医学の古典では、水穀の精微の吸収と気の生成にかかわるものとされています。 

そして同様に、東洋医学の古典の概念としての上焦の機能として、水穀の精微は、脾の運化作用によって肺に送られ(上輸)、肺に送られた水穀の精微は、穀気・津液・営気などに分けられるとされ、また、穀気は、空気中から得られた天陽の気と合わさって宗気となり、これが腎からの先天の気と結合して、元気となる…とされています。 

ですから、特定の臓器に三焦が存在するのではなく、“腑”の機能は、異物の取り込み(物質を取り込むこと、食事。 生物学的な言い方なら捕食)による電磁誘導であり、それが“下”から“上”に向かい、変容していくことを古典で言い表したのが三焦の気であるとの解釈をしています。

その三焦の気が、“下”から“上”に向かい、それは、先ほど述べた、上焦の機能として、水穀の精微は、“臓腑”の“臓”(“月”ニクヅキと蔵で構成される表記は、コンデンサーであるとの私見を持っています)の、

脾の運化作用によって、同じく“臓腑”の臓である肺に送られ(上輸)、肺に送られた水穀の精微は、ここではじめて、穀気・津液・営気などに分けられる。   

また、穀気は、空気中から得られた天陽の気と合わさって宗気となり、これが腎からの先天の気と結合して、元気となる。

この、原気が、上焦の機能、呼吸の機能により、空気と反応した気(これ以外にも考えられますが)、それが、天陽の気(これは“上”からの荷電粒子、例えば太陽からの電磁波、宇宙線、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射))と合わさって宗気となる…と称されていると思われます。

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